青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

田島列島『子供はわかってあげない』

なんたる瑞々しきボーイミーツガール!年間ベスト級の傑作だ。あまりに豊かな細部と緻密な脚本構成、そして、それぞれの固有の”生”をはっきりと感じさせてくれる魅力的な登場人物による会話劇としての面白さ。抜群のセンスと愛おしさで作品が埋め尽くされている。


あらすじはこうだ。「水泳部の女の子と書道部の男の子が屋上で出会う。1枚のお札をきっかけに、新興宗教の教祖の資金持ち出し事件に巻き込まれ、そこに男の子の兄である(現在は姉)の探偵が加わり大冒険のはじまり。そこには少女の実の父親も関わっていて!?」という、作中の言葉を借りるならば、なかなかにハードボイルドなストーリー。しかし、絵のタッチとギャグも合いまり、読感は非常に柔らかい。比較対象として引き合いに出してわかりやすいのは、朝倉世界一の傑作『デボネアドライブ』だろうか。

デボネア・ドライブ 1 (BEAM COMIX)

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そして、今作が傑作である最大の理由は、そのボーイミーツガールの柔らかき表層の裏で、”受け継ぐ”や“繋がる”といった運動が、豊かに蠢いている点だろう。今作に登場するアイテムや所作は、有機的に反復と差異を見せながら、「全ては繋がっている」という感覚を我々に与えてくれる。枚挙に暇はないのだけど、例えば、明が”当選”の字を書いた福引き会場で、福引券を明から貰った門司くんが景品のテレビ(門司くんと朔田さんの出会いは”テレビ”アニメだ!)を引き当てる。それを朔田さんが譲り受け、テレビのない部屋に住むお父さんに送る。この愛おしき連綿性。“当選”と字で書いて、本当に当選してしまう。言葉にしたものが実現していく。これも、作品を貫くトーンの1つで、田島列島という作家は、”言葉を発する事、書く事”に大きな信頼を寄せている。なんせ主人公は書道家の孫で、名が“門司(もじ=文字)くん”である。そして、終盤の「ジョニーの遺言」という回では、”誰かが誰かを愛する気持ち”が暴れ馬となって具現化し、こう言う。

いいか。お前らの使っている言葉っていうのは鋳型であり代用の道具なんだ。言っとくがソコに入りきれる程俺の存在は小さくない。「好き」と言う言葉はただのカードだ。ソレを見せるだけで済むようにお前らの先人たちが編み出した方法だ。お前らはソレを受け継いで未来に残せばいい。簡単でいいな。

言葉への信頼と同時に、その先に広がる”何か”への強い執着がある。その“何か”を人と人が交感しあう様を描いたのが、『子供はわかってあげない』という作品なのではないだろうか。