青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

森崎東『喜劇 女は度胸』『女生きてます 盛り場渡り鳥』

渋谷オーディトリウムで開催されている特集『森崎東と10人の女たち』に駆け付けた。とりあえず3回券を2700円で購入。そのまま初監督作品『喜劇 女は度胸』と『女生きてます 盛り場渡り鳥』の2本を観賞。いやはや、面白過ぎてまいってしまった。映画の見方などすっかり忘れて、笑いあり涙あり、圧倒的な生命賛歌に魅せられた。


監督デビュー作の『喜劇 女は度胸』からもう最高。

渥美清のコメディアンとしての呆れるほどの楽しさも捨てがたいが、この作品は「山田洋次」とか「キネマ旬報」とかそういったものから解放され賞賛されるべきではないだろうか。これは日本のフランソワ・トリュフォーだろう。いや、それもよくわらかないか。高度経済成長を想わせる、企業の看板が羅列する品川の海沿いが猥雑でクール。周辺の長屋はスタジオ撮影なのだろうけども、路地がスッと伸びているのが贅沢だ。画面に奥行きがある。オープニング、風呂場シーンで、ちょうど股関を捉えるであろう場所にフィックスされたカメラを意識して、タオルのない主人公が湯船からあがれない、というメタギャグに驚く。風呂から上がり、「女をナンパしに行こう」と仲間達が街へ駆けだすタイトルクレジットの流れる一連がもう最高。滑走する電車、若々しく弾ける女達、映画に必要なものが全て揃っているではないか。そんな中、1人乗り気でないのが、主人公である学(河原崎健三)、彼はクラシック音楽と読書を愛し、好意を寄せる女の子に『ゲーテ恋愛詩集』をプレゼントしてしまう、まさにこの現代にこそ受入れられるであろうカルチャー童貞男子なのだ。ヘッドフォン姿もかわいい。今、リメイクするのであれば間違いなく星野源が演じるであろう感じ。そして、マドンナは倍賞智恵子。弾けんばかりにフレッシュでチャーミンング。彼女が前述の『ゲーテ恋愛詩集』が要因で変容して(人違いされて)いき巻き起こるドタバタ劇。父が本当の父でなかったり、親子丼だ、穴兄弟だ、嫁にしようと思った女が子持ち娼婦だった、とかまぁとにかくそれなりに悲惨な、と言うより「家族」という枠組みの否定が巻き起こる。ゲラゲラ笑ってしまうくだらなさとパワフルさで突き進み、フィルム全体が過去を顧みるでなく、まっすぐと未来しか見つめていない。そこがとにかく素晴らしいのだな。ソフト化もしているそうなので、ぜひともご観賞頂きたい。




「女シリーズ」4部作の最終作『女生きてます 盛り場渡り鳥』はもっと凄かった。

好みで言えば『喜劇 女は度胸』だが、衝撃度で言えば『女生きてます 盛り場渡り鳥』だろう。かたわだのバタ屋部落だの放送禁止用語が飛び交いながら、セックスアレルギーのスリ常習犯の娘(川崎あかね)と色気狂い母(春川ますみ)、痴漢出歯亀(なべおさみ)、怪力ドモリ男(山崎努)が交じり合うクレイジーな一品。当然の未ソフト化。その倫理無視のパワフルさに圧倒され、森繁久彌中村メイコのやり取りにゲラゲラ笑い、全く定石に収まろうとしない物語の筋の展開に戸惑ったりしている内に、2度の横断に泣かされている。夕日をバックに堤防の上を横移動する横断、そしてラストの全ての理論を吹き飛ばすような少女の真っ直ぐな横断。あれは凄いや。線路沿いにある「新宿芸能社」やガラクタまみれのバタ屋部落のローケション(セットなのかしら?)、色気狂い鬼母を演じる春川ますみの凄味など見所はたくさん。山崎努がドモリながら怪力で家を破壊したあたりから、もう全ての価値観を取っ払って浴びるのがこの映画の観賞の正しい方法ではないかしら。オススメ。