青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ふるえるゆびさき『続きをきかせて』

こんばんは、こんにちは。
そっちの具合はいかがですか?
僕らはといえば、とりあえず東京にいます。
あーだこーだ、満足したり、しなかったりで、まあ色々と大変です。
<中略>
日常がすこし窮屈で、どこか出かけたい気分になったら、再生ボタンを押してみてください。
どこか遠くのまちの匂いを、思い出せるはずです。たとえ行ったことのないまちでも。
ああ、それから、あなたは今、どこにいるのですか?
今度は、あなたの話も聞きたい。お返事をお待ちしています。

こんな挨拶から始まる、ふるえるゆびさきというバンドのこの7曲入りの音源をとても気にいっている。1st音源の『一回映画終わったあと』に比べると格段に聞きやすくなったものの、録音や演奏の諸々を含め、まだまだ歪で未完成だ。しかし、その粗さ故の魅力は抗えないものだし、何より原石としてピカピカに輝いている。サックスやトランペットなどの管楽器、多国籍なビートを導入したチェンバーサウンドは、所謂「cero以降」の新世代バンドと言っていいだろう。歌詞に出てくる「大雨」や「日照り」といったモチーフなどもどこかceroとの共鳴を感じさせる。しかし、独自のオリジナリティを獲得している事は間違いない。固有のメロディーと言葉とリズムがある。

東京は 今夜も雨で
隅から隅まで 水に埋もれた
街は消え 大陸は消えて

というラインに続くのは

タクシードライバー 水着に着替えて

である。このイマジネーションの広がり。ストーリーがどこまでも続いていく。



Webにあまり情報がないのだが、メンバーは現役大学生らしい。混沌に潜む若き野心や浪漫に心をときめかせてしまうではないか。そのソングライティングセンスは本当に素晴らしいものがある。パッと聞いた感じブルージーだが、瑞々しくポップ。ハイラマズの電子音の上でs.la.c.k.の初期作を想わせるルーズなメロウネスが蔓延していくような「遠くの方へ」、ウリチパン群を彷彿とさせるキャッチーな無国籍感がほとばしっている「一人旅」は

まっさらさらさら日照りの街に
冷たい風ざらざらぴゅーぴゅー
真っ昼間から 日射しを背負って
軍旗をひたすら弾いてぴーたぴた

遠い異国から歌っているようで、この国の現状を歌っているような視線がインテリジェンスかつクールだ。椎名誠のエッセイ『インドでわしも考えた』のオマージュ「ベトナムでわしも考えた」のミニマルでアンビエントな感覚もいい。「あるべきすがた」は「一人旅」のサウンドによりポップな歌心と多幸感を纏わせたこのアルバムのハイライトである。

She dance あの娘は踊る 踊る
いつかのリズムに揺られて
いつかのリズムの止め方も知らずに


うたを忘れたあの娘と
おどり方を知らない男の子


バックビートに揺られて

片想いの「踊る理由」のアティチュードへの若い世代から共鳴のようだ。「恋の予感」も何やらたまらない気持ちにさせられてしまう。

ギンガムチェック色をした
通り雨をくぐって 季節を嗅いだのです
君のため 作るナポリタン
トントントンと 包丁をたてる音
緑色黄色紅色 具沢山のサラダを添えて
ふしだらなシャツを着て
ビールを何本も空けましょう
そして きつく抱き合って 夜を明かして

思わず長く歌詞を引用してしまった。まるでやまだないとの漫画のサウンドトラックのよう。この曲と「プロペラ」という不思議な楽曲はアルバムの中でやや毛色が違うのだが、どうやらこのバンドにはソングライターとボーカルが2人いるようなのだ。実に頼もしい。フィッシュマンズソウルフラワーユニオン細野晴臣鈴木慶一らの音楽も色濃く反映されているように想う。特にフィッシュマンズの香りは強く、1st音源には大胆にも「ナイトクルージング」というが楽曲まである。佐藤伸治同様に彼らもまた都市を徘徊するボヘミアンだ。ふるえるゆびさきは執拗に「景色」について歌う。

思い出せない 景色のかたち


「遠くの方」

まちの匂いを思い出す
浮いたまちに沈むからだで


「一人旅」

目印変わりの橋を越えて
がらり変わりはじめるまちを見る


ベトナムでわしも考えた」

10年後の景色はどうだい
半径1mの暮らしの中で
何を思い何を感じ何を生み出すか悩んでいるよ


「プロペラ」

ここはいつかの景色さ 
向いの電車のいつかの僕と見つめ合う


「田舎道」

旅に出ることの浪漫を描くと同時に、今いる場所に留まり、その風景をスケッチして保存する。また、イマジネーションでもってそれを変えてしまう喜びも歌っているように思う。偶然か必然か、7年後の東京オリンピックの開催が確定し、つまりは今のこの東京の風景が失われていくであろう事も決定的となった。どう変わっていくのかはまだわからないし、今の東京の風景を美しいと感じる事は少ないけども、愛着を持っている事は確かだ。1964年の東京オリンピックを経て、はっぴえんどが『風街ろまん』でやった事を、ceroが、そしてふるえるゆびさきもまた既に始めているのかもしれない。とりあえず、どうか"続きをきかせて"。