青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

長井龍雪『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 』


オーソドックスな”泣かせ”の構造をとっていて、賛否両論分かれる所だろう。しかし、そういった構造以前に細やかな演出が効いていた。5年前川に転落して亡くなった少女「めんま」は、突如ある願いを叶える為に幽霊として姿を現す。何とかそれを叶えて成仏させてやろうとかつての仲間達が奮闘し走り回る。その願いとは、かつての仲間「超平和バスターズ」のリーダーであり、めんまが想いを寄せていた少年「じんたん」が必死に堪えていた“涙”を流させてあげる事だ。そうとも知らず仲間達は、「これがめんまの願いに違いない!」と5年前に打ち上げるはずだったロケット花火を、5年越しに作成し、空に放つ。

劇中においてはこのロケット花火の打ち上げは、本当のめんまの願いではなく、無駄であったという事になるのだが、果たしてそうだろうか。”転落した”めんまの為に花火を”打ち上げる”、そして”零れ落ちていく”かのような色とりどりの火花。この丁寧な上下の運動の演出の中において、零れ落ちていく火花はじんたんの(そして超平和バスターズのメンバー全員の)“涙”に他ならない。



幽霊として現れた「めんま」とは何だったのか。それは”過去”そのもの、と言っていいだろう。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の素晴らしさというのは、捉われていた“過去”への視線が、決して一方通行でなく、あちら(過去)からも見つめてくれているのだ、という視線の交わりの提示に他ならない。じんたが真夜中、工事現場のバイトで作業をしていると、めんまが後ろからライトを動かし照らしてくやる名シーンがある。

つまりそういうこと、過去はこちらを見てくれているし、明かりをも照らしてくれる。


最終話における、かくれんぼの演出もまた素晴らしい。「もういいかい?」「もういいよ」のやり取りは、捉われの呪縛を解く合言葉のようであるし、何より超平和バスターズ5人による「みーつけた」は、つまり失った”過去”の再獲得だ。言い換えれば、めんま(過去)が見つめてくれていた自分を再発見するという事。それは

めんまホントは、じんたんの笑った顔が好き

という言葉。ラスト、メンバー全員にしたためられた手紙の文面に記されている。

つるこへ。やさしいつるこがだいすきです。


ゆきあつへ。がんばりやさんのゆきあつがだいすきです。


ぽっぽへ。おもしろいぽっぽがだいすきです。


あなるへ。しっかりもののあなるがだいすきです。


じんたんだいすきです。 じんたんへのだいすきは、じんたんのおよめさんになりたいなっていう そういうだいすきです。

「私達が振り返る過去もまたこちらずっと見てくれている」というモチーフを、見事にビタースウィートな「走る」青春劇に仕上げていた。泣かずにはいられない、周到さだ。