青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

市川春子『宝石の国』1巻

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市川春子、ついに長編デビュー。その画力の美しさ、何よりコマ運びと構図、視線の誘導テクニックの独創性は、徐々に我々が追いつけないレベルに到達している。そして、フェティッシュというより呪物崇拝と呼ぶのがふさわしい、人ならざる物への偏愛。艶めかしい曲線が紡ぎ出すエロティックさが加わり、崇高さすら覚える。漫画を芸術の域に高めると共に、それを読むという行為に背徳感を忍ばせる。その両ベクトルへの出力はまるで往年の手塚治虫のようではないか。


市川春子が初めての長編で挑んだのは、なんと世紀末的美少女(?)戦闘モノである。多くのそのジャンルがそうであるように、今作もその戦場は、現実世界とりわけ少年・少女期の世界のトレースだ。不安、孤独、葛藤、嫉妬にまみれ、自身のスペックを値踏みして、自身の役割というものに懐疑的な、あの頃の精神世界。それはやはり血の流れない戦場だった。あの美しい宝石人達は壊れやすくすぐに粉々になってしまう。そんな所も、あの頃の”わたしたち”にソックリだ。そんな戦場で、主人公であるフォスに与えられた仕事は「博物誌」を編纂する事。つまり、この世界を保存する事。何なら、書き換えてしまう事もできる。フォスはつまり市川春子だ。彼女は『宝石の国』という作品でもって、少年・少女期のあの時間を書き換えるつもりに違いない。また、市川春子はフォスに

君にしかできない仕事を僕が必ず見つけてみせるから!

と言わせる。これはもう絶対に傑作が完成するに違いあるまい。


月から襲ってくる敵(月人)が何故か菩薩のような姿である、宝石人の長である金剛先生が坊主のルックをしている・・・など謎が散りばめられている。宗教的な色合いも帯びていくのだろうか。また、1巻の後半に登場するナメクジ(性別がなく、しかも溶ける)が象徴するように、作中の登場人物には性差の混濁が見られる。作劇における永遠のモチーフ「ボーイ・ミーツ・ガール」のその先へ。BLも百合も飲み込んで、市川春子は果敢に挑むおつもりなのでしょうか。