青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

前田司郎『いやむしろ忘れて草』


青山円劇プロデュース公演「カウンシルシリーズ」の第6弾という事で、前田司郎が五反田団の代表作(いったい何作代表作があるのか、という感じですが)『いやむしろ忘れて草』を、満島ひかり伊藤歩福田麻由子、菊地亜希子といった豪華キャスト陣で再演。舞台に登場する四姉妹は『若草物語』から換骨奪胎したものだそうだ。『若草物語』を小津安二郎の眼差しで切り取ったような、平凡な家族の話、その日常の他愛のないスケッチ。しかし、その日常は蝕まれている。四姉妹の三女(満島ひかり)は生まれつき身体が弱く、入退院を繰り返している。少ない舞台美術の中に、長谷川町子の『サザエさん』と高野文子の『るきさん』の文庫がある。おそらく三女が入院中、繰り返し読んでいる本なのだろう。日常への回帰、という祈りが垣間見えるさりげない演出だ。三女が隣人のタカシのピアノ演奏を録音したMDを聞くシーンもいい。そのピアノの音色は彼女にとっての日常そのもので、それを聞けば、病室という空間を”家”に変容してしまるのではないか、という祈りが込められている。そういった空間についての作品のようにも思える。舞台は彼女を文字通り中心に置き、2つの時間と空間を行き来して進行していく。360度の舞台に2つある出入り口、そのどちらから役者が登場するかで、舞台装置はそのままに、過去なのか現在なのかという時間軸、また家の部屋なのか病室なのかという空間軸が変貌する。


大事なことはできるだけ遠回しに言う、という平田オリザから受け継がれている前田司郎の戯曲は、その遠回りの道程の細部に豊かさが宿る。その豊かさを支える、独特の脱臼した会話劇は健在だが、今作の肝はそのお喋りが鳴り止んだ時に訪れる”沈黙”にあるように思う。遠回りの果てにとうとう沈黙に辿りついてしまったのだ。やはりその意味でもこの『いやむしろ忘れて草』が前田司郎の1つの到達点である事は確かなのではないだろうか。そして、張り詰めるような不在と沈黙を、身体1つで受け止めて演じた満島ひかり黒田大輔の素晴らしさを改めて称えたい。


「ずっと忘れないでいて」「ずっと忘れないよ」という想いがある。それらは、所謂「ドラマ」を形成する上でマジョリティな感情だろう。しかし、前田司郎は、それらが時に誰かに重くのしかかってくるのだ、という事を描く。劇中では病弱な三女の為に、長女は恋人のプロポーズを断り続け、二女は東京から実家に帰ろうかと考え、四女は東京での就職を諦めようとしている。勿論、全員が三女の事を考えての事。しかし、やはりそれは彼女に重くのしかかる。かと言って、他の姉妹が無神経なのか、というとそういうわけではない。この何とも歯がゆい悲劇に、タイトルで落とし前をつける。いや、むしろ忘れてくれたほうがずっと気が楽だよ、と。そういう、世間ではなかった事にされてしまうようなかぼそい声、いや、祈りを掬い上げてくれている。そのそして、ラスト、時間軸を再び過去に戻して、満島ひかりに思う存分泣かせる。現在では零れなかった涙を流させてやる。こういうやり方に私はいちいちグッときてしまうのだ。