青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『最高の離婚』9話


ここに来て最高傑作回ではないだろうか。「喜劇と悲劇は表裏一体」「叫びと笑いはよく似ている」とかなんとか昔から言われてきているわけですが、ここまで自在にその2点を行き来できるその筆致。その接続点となるのも「女装して捕まった河合さん」だのLINEの「ポヨン」という間抜けな音だの、いちいちおもしろい。結夏のオナラのくだりで魅せた尾野真知子の道化としての泣き笑いの演技の凄まじさ。極端な2点を行き来する事で、炙り出てくるのは、人間の単純な両極にはカテゴライズできない曖昧な感情で、それがドロリと地上波の画面に横たわっている快感。行き来するのは喜劇と悲劇だけではなく、”理想”と”現実”の2点だ。これは今までも多用されてきたのだけど、「こうだったらいいのに」という祈りの独白を詳細に長回しで撮る。

むしろ。むしろね、キャンプとか行きたかったですよ。4人で。みんなで。
いや、行ったことないですよ。キャンプ。いや、行きたいと思ったこともないですしね。
でもね、そういう話になったかもしれないじゃないですか。
うちとそっちで。今度、キャンプ行きましょうって。レンタカーとか借りて。
<中略、ディティールの描写が続く>
そういうね、そういうキャンプですよ。もしかしたら・・・そうなってたかもしれないじゃないですか。
そしたら、そしたら意外とね・・・
楽しかったか・・・

光生(瑛太)の「キャンプに行きたかった」という祈りは、結果的に彼のどうしようもないほどの”生きづらさ”の吐露となっている。


坂元裕二の脚本は、光生と諒のまるでアンジャッシュなすれ違いコントのような会話も軽くやってのけてしまう。灯里が結夏を責める際に用いたメタ視点も凄い。”生きづらい人々”を救い出すかのような展開を見せながら、

・・・なんていう理屈言っても
女は聞いてないけどね。

と一気につき落とす。結局、人と人はわかりあえないのか。生きづらさは1人で抱えていかねばならぬのか。いや、それでも、光生がどうにかしてくれる。そう、信じながら結末までかぶりついて観ます。しかし、濃密な密室劇だった。フォーマットをいじくり回したり、凝ったギミックを多用したりせずとも、純粋な現代口語劇でここまで面白い作劇が生まれる、というのは希望である。