青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

cero『My Lost City』

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これからのこの国のミュージックシーンを牽引する1枚の誕生だろう。ceroの音楽が大きく開かれた。パーソナルな手触りの1stアルバム『WORLD RECORD』が名盤である事には代わりないが、こいつはちょっと桁違いだ。今作においても彼らの音楽は数多のカルチャーからの引用のパッチワークで成り立っているはずなのだけど、その繋ぎ目を感じさせないシームレス加減は絶妙、というよりもはやその繋ぎ目のよる傷さえも彼らの血肉である。これがceroの音楽だ。楽曲、リリック、演奏、歌唱、録音・・・その全てが成熟し、ポップスとしての強度が格段に向上している。「誰もが心奪われる最高のポップアルバム」と手放しに賞賛して終わりでもいいくらいなのだけど、同時に精緻なコンセプトアルバムでもあるので、ちょっとした想像力を働かせてみたくなる。

シティ・ポップが鳴らすその空虚、
フィクションの在り方を変えてもいいだろ?


「わたしのすがた」

日常の中でふと耽る空想は実に甘美だ。例えば、動物園を抜け出した真夜中に空を飛ぶペンギン、突然に街を襲う大停電、銀河を走るJR中央線・・・そんなものがいつもの冴えない街を何やら素敵なものに変えてしまう。想像力は日常に対抗しうる武器だ。

WORLD RECORD

WORLD RECORD

2011年にリリースされた『WORLD RECORD』を、想像力で立ち上げた空想都市のサウンドトラックとして、すなわちまったく新しいシティ・ポップとして楽しんだ。しかし、ほどなくして東日本大震災が発生。その未曾有の災害により、現実は空想の強度を追い越してしまった。インタビューにおいてもceroは2ndアルバム製作初期段階のコンセプトとその変容を以下のように語っている。

「雨の降り続ける街が、やがて洪水に見舞われ、ほんの小旅行のつもりだった小舟は、思いもよらぬ大航海の旅にでることになる」という展開を考えて、停電や洪水、都市の崩壊をテーマに曲を制作。その後に起こった東日本大震災が自らの作り上げた架空のパラレルワールドに酷似していたことから、一時は自分たちの世界観をその方向に寄せるのはやめようと思った。

だが、彼らは再びその方向性でアルバム制作を続ける。その際に、村上春樹海辺のカフカ』から下記のようなセンテンスを引用し、決意表明を行っている。

すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities -- まさにそのとおり。逆に言えば、想像力のないところには責任は生じないのかもしれない。

つまり、この『MY LOST CITY』は、想像力の生み出すと希望、更には絶望(それは”黒い邪悪な夜”であり”切裂き魔”であり”怪物”である)すら踏みしめて奏でる愛と責任のアルバムだ。洪水さなかの船上でパーティーを続けるceroの姿は、ジェームズ・キャメロンの『タイタニック』において、沈みゆく船で最後まで讃美歌を演奏し続けたあの弦楽四重奏のように美しく力強い。「Contemporary Tokyo Cruise」は現代の讃美歌だ。そして、「さん!」には「ものみなこぞりて」のフレーズが!


表題曲における「ダンスを止めるな」というリフレインは、もちろん世間を騒がしている風営法について言及している面もあると思うが、これを「想像する事を止めるな」と読み換えてみてもいいだろう。彼らが奏でるのはシティ・ポップ。街というのは人の集まりで、人が集まるには関係を結ばねばならない。人と人が関係性を持つ際に必要不可欠なのが、”想像力”であり、それこそが、美しく生きる日々を保証すると言っていいだろう。


このアルバムの感動的なコーラスワークは、東京阿佐ヶ谷にある高城晶平が母親と経営するバー「roji」において、友人やファンを招いて録音された。「街のメロディーみたいだな」と思う。空想の世界と現実の世界、その境界が曖昧になった時、街は歌い出す。これがceroの奏でる新しいシティ・ポップだ。ceroは改めてシティ・ポップの概念を書き換えたのだ。

はねていく はねていく リズムだけが
こえていく こえていく この街すら

「さん!」

ここからは余談なのだけど、「自分の作りだした世界に責任を持って折り合いをつける」そんな物語を私はもう1つ知っている。藤子・F・不二雄の『ドラえもんのび太魔界大冒険』という作品だ。

秘密道具「もしもボックス」によって、魔法文明の栄えた並行世界を作り上げたドラえもんのび太。しかし、その想像力の産物として、”悪魔”という存在をも生み出してしまう。勇敢に魔界の精力に立ち向かうドラえもんのび太、しかし、激闘の末に仲間は全員魔王に捕らえれてしまう。そんな中、ドラミが登場し、「もしもボックス」で元の世界に戻してしまうよう提案する。しかし、彼らはそれを固辞する。








想像力に責任を果たす。そののび太ドラえもんの態度はcero同様に勇敢で、感動的だ。そして、この作品のラストは現実の世界に戻ってきたのび太が、空想世界を引きずって唱えるのは、「チンカラホイ」という”メロディー”であった。