青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

壬生狂言『土蜘蛛』『桶取』


京都の壬生寺で行われている重要無形民俗文化財である壬生狂言を観てきた。節分、春、秋の三期間の年14日間しか公開されない催しに運よく遭遇できたのだ。「狂言」の定義がいまいちわからないのだけど、普通は素面で演じて台詞もあるらしいのだが、壬生狂言は台詞を用いず、鐘と太鼓と笛の囃子に合わせて振りと舞のみで、そして仮面をつけて演じられる。まず、この仮面がいい。ヴィジュアルの異形さが独特の雰囲気を醸し出す上に、場面、場面で確かに笑ったり、悲しんだりしているように見えてくるのが不思議で面白い。そして、狂言がこんなにもポップな芸術であった事に驚いた。非常にわかりやすくて、小さな子供たちも素直に笑ったり歓声をあげたりしていた。特に面白かったのが『土蜘蛛』と『桶取』の2本。


『土蜘蛛』の悪夢が具現化したような禍々しさと、舞台空間の大胆な使い方。そして、何より蜘蛛の怪物(ヴィジュアルも素晴らしい)が紙で出来た糸を舞台上から大胆にばら撒くという派手な演出が見もの。『桶取』は壬生狂言の中でも最重要作に挙げられる演目らしいのだが、プリミティブな舞と音色がジワジワと目を伏せたくなるような感情を立ち上げる様が強烈だ。美しく若い女に夫を奪われてしまう妻が、鏡を見つめ化粧をしながら己の醜さを嘆き発狂死するという身も蓋もないラストが、ややコミカルな前半と組み合わさる事で、どうにも人間の業の肯定にように感じる。700年も前に、既にあらゆる芸術の芽は生まれていたのだ。驚きなのは、この壬生狂言は近所に住む講中の人々で、普段はサラリーマンや小学生として日常を過ごす一般人なのだそうだ。日常に根づいた伝統芸能壬生寺自体も街の中に溶け込んでおり、観劇席からは電車やアパートや車も見える。これが実に不思議な感覚。あの日常と非日常の境界が揺らぐような快感も壬生狂言の魅力の1つではないだろうか。