青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

最近のこと(2021/09/08~09/12)

2021年9月8日水曜日

ひさしぶりの在宅勤務。「cafe Europa」という喫茶店でモーニング。わりと近所にあるにも関わらず、平日しか営業していないので、1年間もその存在に気づかなかった。ここも雰囲気があり、珈琲も美味い。店内は冷房が効いておらず少し暑かったのだけど、とても太ったサスペンダーの常連さんらしき人が来店したら、冷房がプスプスと音を立てて入り出した。気遣いのできるお店です。

9時からパソコンの前に座って仕事。昼は家で軽く済ませて、The Beach Boys『Surf’s Up』を聴いて、休憩。「Disney Girls」の美しさにため息。18時まで真面目に働く。Official髭男ismの福井公演の落選のメールが届いて落ち込む。しかし、なんとしても「Shower」を生で聞きたいので、まだ懲りずに申し込む所存。業務を終えて、セブンイレブンに夜ご飯を買いに行く途中で職場の上司に会った。近所には転勤組がたくさん住んでいて、少し気まずいのだ。上司はランニングに出かける様子だった。

『有吉の壁』がお休みなので、プロ野球中継の阪神戦を観る。大阪では阪神戦はだいたい地上波で放送しているからすごい。豆腐とキムチとゆで卵をサントリーの「のんある晩酌 レモンサワー」で流し込み、デザートに井村屋の「ごろろん果肉アップルパイバー」を食べる。これも新作なのだろうか、とても美味しい。10月から空気階段の地上波初の冠番組が始まるという報があって、とても楽しみ。『有吉クイズ』のレギュラー化もうれしい。あと、緊急事態宣言が延長とのこと。Paraviで『想い出づくり。』の3話を観る。田中裕子が断トツだけども、鈍くさい森昌子もかわいい。そして、暴走する柴田恭兵。22時からは『水曜日のダウンタウン』を観た。『キングオブコント』の審査員が変わるらしい。寝る前に昨日の『爆笑問題カーボーイ』を聴く。ネタ合わせの時に田中さんがコンビニで太田さんの分のお菓子も買ってくるくだり、何回聴いても好き。

2021年9月9日木曜日

仕事の精神的疲労がしんどい。車の中で、昨夜のオードリー若林がゲストの『星野源オールナイトニッポン』を聞いた。すばらしき言語化能力のぶつかり合い。『アルコ&ピースD.C.ガレージ』のTKO木本ゲスト回の立ち回りも、様式美という感じで良かった。帰り道はKREVAのニューアルバム『LOOP END/LOOP START』を聴く。気持ちいい音。Benny Singsの新曲「Dancing In The Dark」も聴いた。あと、BTS「Butter(feat.Megan Thee Stallion)」のダンスパフォーマンス動画が最高過ぎて8回ほどリピートして観入ってしまった。Official髭男ismの大阪城ホールの公演に当たってうれしい。

帰宅して、ご飯を食べながら『家、ついて行ってイイですか?』の録画を観る。今、1番好きなテレビ番組かもしれない。今期から始まったテレビドラマ版はちょっと厳しいけども。TVerで観た『霜降りバラエティー』の「石川と佐々木に戻ろう!!大阪リベンジャーズ」がとてもいい企画だった。10月から時間帯降格らしい。テレビ朝日のバラエティーおもしろいんだけども、好きな番組はだいたい終わっていく。『伯山カレンの反省だ!!』の復活求む。『トゲアリトゲナシトゲトゲ』『ぼる塾の煩悩ごはん』『にゅーくりぃむ』『キョコロヒー』『かまいガチ』あたりは気が向いた時に観ています。

『ハライチのターン』を聴いてから寝る。結局この日までにマイクロマジックポテトは手に入れることができなかった。最後のポテトの放流のシーンのイマジネーション、素晴らしい。2人のフリートークの聞いていて自意識が疲れない感じとか、何周か回って今1番身体に合うラジオ。

2021年9月10日金曜日

朝起きてすぐに何かしらのラジオを流すようにしている。話芸で脳みそを起こす。この日は『安住紳一郎の日曜天国』のポッドキャスト版を聴いた。スロベニアという国が異様に蕎麦を消費しているという話。この間の『古舘伊知郎オールナイトニッポンGOLD』で話していた、安住紳一郎古舘伊知郎の「薬局ドリンク売り」を一晩徹夜して完コピした後に「先輩がバラエティーに戻ってきてくれた」と泣いた、という『ぴったんこカンカン』の映像が観たいんですが、どこかに転がっていませんかね。どちらも悪人という感じが好き。安住さんにも古舘伊知郎の『トーキングブルース』みたいなライブをやって欲しいのだけど、才能に溢れながらも局アナサラリーマンに縛られているところも魅力なんだよな。ときに古舘伊知郎とわたしの母親は小学校の同級生らしい。

大塚誠也のSOY JOYの抹茶&マカデミアを食べて、歩いて会社に向かった。ZOOMで参加しないとイベントがあったので営業所で内勤。新入社員が2週連続で事故って落ち込んでいたので、お昼ご飯を奢ってあげた。事故の話を聞く以外、特に話すことなし。喫茶店キーマカレーが温くてあまり美味しくなかった。3時間ほどオンライン上で話を聞いていたのでどっと疲れる。

帰宅すると頭痛。このところ、金曜日を終えると頭が痛くなる。なんとなく買ったものの読んでいなかったスーパーマーケット特集の『dancyu』に目を通す。「スーパーオオゼキ」がとても褒められていた。大阪にはないな、オオゼキ。「コモディイイダ」も「いなげや」も「OKストア」も「サミット」もないな。わたしは長野県にたくさんある「ツルヤ」というスーパーが好き。品揃えが良くて、ワクワクする。「ツルヤ」の軽井沢店はあの『カルテット』にも何度も登場するのだ。インスタで長濱ねるさんがレコードプレイヤーを買ったとBruno Major『A Song For Every Moon』を回していたので、ひさしぶりに聞きたくなり流す。長濱ねるのインスタ投稿にめちゃくちゃ影響を受けていて、彼女が久石譲のコンサートで聞いて感動したという「アシタカとサン」という曲を、最近よく聞いています。劇中のどこで流れていたかまったく覚えていないけどとても美しい曲。人の薦めているものを好きになるのが好きだ。冷蔵庫に入れてある大量のキムチが臭い。このところキムチと納豆と豆腐ばかり食べているのは、来週の月曜日に健康診断なので、健康体に向けての悪足搔きなのだ。ときに、納豆って“小粒”とか“極小粒”ってやつでも、「思っているより全然大きいな」となりませんか。わたしは大粒の納豆って食べたことがないのかもしれません。

2021年9月11日土曜日

何の予定もない土曜日。朝起きてすぐに喫茶店「リヴォリ」へ。1番お気に入りの席が空いていたのでうれしい。週替わりメニューは今週も絶品。豚肉と大葉とチーズのピカタ。焼き玉葱の付け合わせも美味しい。食べ終えても、まだじっくり本を読みたい気分だったのでアイスウィンナーを追加。生クリームが美味しい。神保町にある東京堂書店の店長だった佐野衛が日記や本への想いを綴った『本の気配 書店の棚』を読み終えた。佐野衛が「クラシックはバッハしか聞かない」「バックハウスのバッハの1枚は大切にしないといけない」と書いていたので、Spotifyで検索して、Wilhelm Backhaus『Bach Recital』を聞いた。便利な世の中になった。また、本書には立花隆がよく登場する。『エーゲ 永遠回帰』が読みたくなったので、今度本屋に入ったら買おう。本を読んでいく中で次に読みたい本が生まれてくる。これは読書という体験の中におけるとびきり楽しい効果のひとつ。以前、爆笑問題の太田さんがラジオで紹介していた立花隆が宇宙飛行士たちにインタビューしたものをまとめた『宇宙から帰還』も手をつけていなかったので一緒に読もうと思う。立花隆というと、学のないわたしにはどうしてもまず連想されるのが映画『耳をすませば』での雫の父親に声をあてたあの朴訥とした音だ。立花隆本人も、雫の父親のあの感じのルックスをイメージしてしまう。

三四郎がゲストの『佐久間宣行のオールナイトニッポンZERO』を聴きながら、1週間分溜まった洗濯と掃除を済ませる。週に1回の植物への水やりも土曜日。ウンベラータはずっと元気なのですが、シュフレラは元気がないのでベランダに出してみたら猛暑の日差しであっという間に枯れてしまった。Park Hye Jin『Before I Die』を聴きながら少し散歩をする。「古書 象々」で中川李枝子・山脇百合子『なぞなぞえほん』を300円で購入。詩のような謎々にかわいいイラスト。ぐりとぐらも登場する。対象年齢が4歳からとのことなので、2歳の甥っ子がもう少し大きくなったらあげようと思う。吉田健一の『東京の昔』がハードカバーで置いてあり買いそうになったが我慢。読んだことある本を別版で買い揃える行為は自重しよう。お昼に堺筋本町寄りの北浜にある「ニュー上海」で天津カレー炒飯を食べる。所謂「バカが食う食べ物」ってやつだが、抜群に美味い。量が多すぎるので、夜ご飯を美味しく食べる予定がある人は注意が必要です。北浜には駅の近くに「龍門」という中華屋もあって、ここも天津カレー炒飯が有名らしい。姉妹店なのだろうか。

帰宅して、The Pharcydeの2ndアルバムを流しながら仕事。The Pharcydeを聴くと、いつも「これ好きだと思うからあげるよ」と1stアルバムをくれたバイト先の先輩を思い出す。わりとかっこいいし、人柄もいいのに、なぜかいつも辛酸を舐めているという人生を損しているタイプの人で、その要領の良くなさが好きで、わたしはなついていた。バイト後に真夜中に公園でダベったり、家に遊びに行ってヒップホップのCD
を聞かせてもらったりしていた。冴えない日々だと思っていたが、振り返れば青春そのものだな。

サム・ライミスパイダーマン』をNetflixで視聴。ジョン・ワッツ×トム・ホランドの今のスパイダーマンは最高にキュートで大好きなのだけど、ライミとトビー・マグワイアスパイダーマンはとにかく鬱屈としていて、これはこれで好き。ウェブシューター(手首から放出させるクモの糸)が、発散するこのできなかった性欲の放出にしか見えない。逆さまに宙吊りになってのキスシーンは白眉。昔はビッチが過ぎると思っていたキルスティン・ダンストンのMJだが、田舎のカーストトップが都会で堕ちていく生々しさが、今観ると切実だ。『ゴッドタン』のみなみかわフューチャー回、良かった。

2021年9月12日日曜日

起きてすぐに湯を溜めて、朝風呂に入りながら読書。『エリック・ホッファー自伝』を読み進めた。手に取る本に“盲目” というモチーフが妙に続く。風呂から出て、YouTubeチャンネル『五反田ガレージ』の猫の動画をひたすら観ていた。会長(千住猫)と新入り猫の邂逅を捉えた動画は珠玉で声に出る。会長が実にいじらしい。森田と山根マネージャーの猫への愛情の注ぎ方が素晴らしくて、さらば青春の光がますます好きになってしまう。溜まっていた『さらば青春の光がTaダ、Baカ、Saワギ』を聴く。パンサー向井と東ブクロのラジオスターを巡っての争い、最高。

やることがなく、天気も悪く、やる気も沸いてこないので家に引き籠る。マクド月見バーガーUber Eatsで注文。サム・ライミスパイダーマン2』を観ながら食べる。そのままソファーに寝転んで『スパイダーマン3』まで観終える。明日、健康診断なのにすごく身体に悪い生活をしてしまっている。

家から一歩も出ないのもなんなので、近所を少しだけ散歩。Nancy WilsonとCannonball adderleyのアルバムを聴いた。スギ薬局で目薬、セブンイレブンでオマールエ海老のビスクを買って帰り、豆腐と納豆と一緒に食べた。採血があるので、21時以降は何も口にしてはいけないとのことなので、なんだか落ち着かなくなる。テレビで『爆笑問題霜降り明星のシンパイ賞』と『テレビ千鳥』を観る。続けて、Tverで『かまいたちの知らんけど』を観る。これが実に素晴らしくて、最近のテレビでは1番グッときたかもしれない。濱家が37年間通ったスーパーである「イズミヤ上新庄店に別れを告げるという特別編なのだけども、まさに五感と記憶を巡る最高のドキュメント。必見です。スギ薬局で歯磨き粉を買うべきだったな、とチューブを絞る。歯磨き粉は言うほど粉じゃない。

最近のこと(2021/09/01~09/07)

f:id:hiko1985:20210913140012j:plain
大阪に来て1年以上があっという間に過ぎていった。大阪という街はとても気に入っていて、このままここに住んでもいいとさえ思っている。しかし、仕事には疲弊していて、どうにも文章が書けない日々が続いている。しかし、書かないとどんどん書けなくなるのが文章。せめて日記くらいは続けていけないものか試してみようと思う。最近は、日記のようなものを好んで読んでいる。大岡昇平『成城だより』だとか三輪亮介『生活記録』とか。やっぱり日記というのは良いのだ。1980年頃に書かれた『成城だより』を読んでいて、そこにちりばめられた固有名詞が煌めいたままであることにはたいへん勇気づけられた。何を読んで、何を観て、何を聴いて、何を食べたか・・・そういったものを書き記すだけでもその人の思考のようなものがぼんやりと形作られるということ。やっぱり、しんどくて1回で終了してしまうかもしれないけども、とりあえず9月からの1週間を綴ってみよう。『大豆田とわ子と三人の元夫』について書かないですか?とたまに聞かれるのですが、いつか書きたいと思います。あと、公開中の『サマーフィルムにのって』のインタビュー記事をCINRA.NETにて書かせて頂きましたのでぜひお読みください。


9月1日水曜日

9月に入り大阪もだいぶ過ごしやすい気候になった。大阪に引っ越して1年経つものの、つい無意識で東京の天気予報もついチェックしてしまう。東京はとても涼しいそうですね。

最近の営業先はもっぱら京都で、週のほとんどを京都で過ごしている。これまで抱いていた京都の特別性みたいなものがどんどん薄れていっている。金閣寺の3文字で胸をときめかせていたあの頃にはもう戻れないのかもしれない。訪問予定をこなしたので、宇治の小倉にある喫茶店「よこやま珈琲」で少し休憩。「うまいコーヒーの店」と書かれた看板がストレートで気にいってしまった。たしかに美味しいコーヒーで、豆を買いに来るお客さんがとても多かった。30分くらい本でも読もうかと思ったが、iPhoneを眺めているだけで時間が過ぎてしまう。Cleo Sol『Mother』を車で聴きながら、大阪に戻る。

帰宅して風呂にお湯を溜める。湯が溜まるまでの退屈しのぎにTwitterのスペースという機能に足を踏み入れてみた。Clubhouseと同じようなものなのだと思う。一人の女性が兎と戯れながら、職場の人間関係などの日常の出来事を喋っている。聞いている人が途中で退席すると、「あー、つまらなかったよね、ショックだな」とぼやくので、出るに出られなくなってしまい、そのままお風呂の中でも聞き続ける。「同棲している彼氏がそろそろ帰ってくる」「“駅に着いた”って」「帰ってきても、内緒で放送を続けてみようかな」「彼の好きなビートルズの“オブラディオブラダ”を流して待っていようかな」などと、興味を引いてくるので最後まで聞いてしまう。

男「ただいまー」
女「おかえり」
男「ん、なに?喋ってるの?」
女「怒った?」

というやりとりの後、「スペースは終了しました」と突然放送が打ち切られるという幕引きで、なんだか気持ちが沈みました。安田大サーカスのクロちゃんが無人島から脱出して家を探すという企画の『水曜日のダウンタウン』を観てから寝た。

9月2日木曜日

この日も京都へ。車中ではFM802で放送されているOfficial髭男ismのラジオ『LANTERN JAM TIMES』を聴いた。ギターの方がオードリー若林正恭の『社会人大学人見知り学部 卒業見込』に感銘を受けたと、オススメしていた。最近リリースされた『Editorial』収録曲のお気に入りのギターフレーズやコード進行などについて解説していて楽しい。『Editorial』は、ずっと待ち続けていた槇原敬之の黄金期に比類するソングライティングと歌唱が詰まったアルバム、とても感激している。この何十年に一度のアーティストの脂が乗った時期のライブを見届けたい!とライブに申し込んでいるのだけども、大阪はおろか福井の会場さえも落選が続いている。諦めずに何度も申し込んでいこうと思います。お昼はセブンイレブンでラップロールグリルチキンタンドリーソースを食べた。美味しいので、最近は週に3回くらいのペースでこれを昼食としている。

帰宅して、『火曜は全力!華大さんと千鳥くん』での「ダイアン×ダイアン×ダイアン」の録画を観る。楽しみにしていたのだけど、途中で寝てしまったのだ。『SMAP×SMAP』のオマージュをひさしぶりに観た気がする。配信ライブ『ダイアン対かまいたち 見届け人は千鳥さん』でも感じたけども、この3組が揃うと味が濃すぎるのかどう楽しめばいいのかわからなくなってしまう。劇場時代を知っている関西の人は、「あの空気感こそが千鳥、ダイアン、かまいたちなのだ」と思うのだろうか。

GERA放送局での『ランジャタイのサンバイザーラジオ』が9月で終了してしまうとのことで残念。売れて忙しくなったからとのこと。NHKのドラマで伊藤さんが上白石萌音の夫役で出演するというのだから驚きだ。また、ランジャタイによれば『キングオブコント』の準々決勝で1番ウケていたのはジグザグジギーとのこと。わたしがお笑いライブで出待ちしたことのある芸人はジグザグジギーとランジャタイだけですので、胸が熱くなった。ぜひ再び決勝の舞台で観たい。最近のGERA放送局でのオススメは『囲碁将棋の情熱スリーポイント』と『ママタルトのラジオ母ちゃん』です。

9月3日金曜日

天気が悪い日が続き、頭が痛い。車の中で先月末にリリースされたonett『Get Along』を聴く。好きです。週の疲れを労うべく、セブンイレブンで「ねっとり濃厚な味わいまるで濃密芋」というアイスを買って帰る。これが実に美味しい。この「まるで~」シリーズのアイスは爆笑問題田中裕二も推奨する傑作だけども、その中でも燦然と輝くマスターピースではないでしょうか。濃厚、濃密と商品名がくどいのもポイントです。どうにも頭痛が収まらないので、イブプロフェンの頭痛薬を飲む。ソファーに寝転びながら、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』を観た。Kis-My-Ft2のデビュー10周年特集。あまり人に言ったことはないのだけど、わたしはキスマイの藤ヶ谷太輔がけっこう好きなのだ。理由は自分でもよくわからないのだけど、観ているとときめいてしまう。横尾と二階堂を外して5人でのデビューがほぼ決まっていたのだけども、藤ヶ谷・北山が「7人でいきたい」とジャニーさんを説得した、という話には涙腺が緩んでしまった。横尾・二階堂がどうこうではなく、7人より5人のほうが確実にグループとして運営しやすいのは自明なのだけども、理屈じゃなく「この7人なのだ」という無鉄砲さ。キスマイの絆にほだされて、中居くんの何かがうずき出さないかを期待する。しかし、キスマイの最大のヒット曲が「Thank youじゃん!」というのにはズッコケてしまった。1曲でもいいから国民的ヒット曲を彼らに。

せっかくの金曜日なので夜更かしして、Paraviにて筒井ともみ脚本のTBSドラマ『もしも、学校が…!?』(1985)を最後まで観る。『3年B組金八先生』(や『ビューティフルライフ』)でお馴染みの生野慈朗がプロデューサーを務めており、職員室のセットなどはおそらく桜中学の使い回し。なのでルックは初期の金八という感じなのだけど、UFOやピラミッドなどのオカルト要素が満載の不思議なドラマだ。序盤はいまいちノレなかったのだけど、回が進むにつれ引き込まれた。偏差値史上主義の学校教育の中で、落ちこぼれとされたルーザー達が、周りからどんなに虐げられようとも、UFOの到来を懸命に待ち続ける。アナログながら思い切った演出の数々も楽しい。オープニングで先生役を務める三田村邦彦片岡鶴太郎山本コウタローがTHE SCHOOL!というユニットで「人生はコメディ」という楽曲を披露するのだけどもこれがとにかく最高。楽曲は高橋研のペンなのだけども、彼の作ったおニャン子クラブ「真っ赤な自転車」と「じゃあね」も大好きだ。続けて、山田太一脚本の『想い出づくり。』(1981)の視聴を開始。当時26歳の田中裕子があまりにキュート。誰も加入していないような気がするParaviだが、実は宝の山なのである。

9月4日土曜日

起床してすぐさま近所の喫茶店へ。卵サンドとホットコーヒー。すぐに帰ろうと思っていたけど、突然大雨が降り、大きな音で雷が鳴り響く。これはしばらく帰れないぞ、と積んだままになっていた斎藤倫『さいごのゆうれい』を読み終える。

<じだい>って、知ってるかな。
それは、とても、ふしぎなもの。
さわれもしない、目にも見えない。
空気みたいなもんかって?空気なら、吸ってみたら、ここにあるってわかる。
だけど、<じだい>は、わからない。
そのなかにいるときは、おもわない。じぶんが、<じだい>のなかにいるなんて。

斉藤倫のこの独特な句読点使い、なんてかっこいいんだ。こういった固有な文体を手に入れたいもの。そして、ストーリーテリングもさることながら、印象的な細部の書き込み。ずっと心に残るだろうな。読み終えるとちょうど、外は小雨に。お店の人が傘を貸してくれるというが、「近いから大丈夫です!」と固辞する。爽やかに断ったつもりだったが、まずは「ありがとうございます」って言わなきゃダメだったなと小雨に当たりながら反省した。

歩いて天満橋の京阪シティモールへ。ジュンク堂書店藤本タツキ『ルックバック』、ニトリでグラスと珪藻土マットを買う。北浜の「天乃江 あまのえ」という天婦羅屋でランチ。天婦羅はもちろんなのだけど、付け合わせの総菜、漬物、なによりお味噌汁が抜群に美味しい。天かすが入っているのがナイスアイデアだ。天婦羅は塩で食べてもいいし、タレをかけてご飯にのっけて天丼にしてもいいと、カスタムが自由。食事を終えて、そのまま少し散歩。「大阪総合園芸センター」に寄ってみるも、いい出会いはなし。スーパーの「LIFE」に寄って、入浴剤、ピーマン、カボチャ、卵、ボスカフェベース、牛乳、食パンなどを買った。堺筋本町タワーマンションの横にあるは「LIFE」は品揃えが他のところより明らかに良い。ご時世的に出かける気にならないので、散歩とスーパーでの買い物がなによりの娯楽。

帰宅して録画の消化。ドラマ『サ道』と『お耳に合いましたら』を観る。『お耳に合いましたら』8話「青春はすっぱいぞ」は松本壮史の脚本・演出回。素晴らしかった。佐々木役の鈴木仁がかわいくて、とても好き。松本壮史監督のInstagramドラマ『デートまで』に主演していた彼だったとは。

家に籠り続け、FODで福田康脚本の『HERO』のスペシャルドラマと2007年の映画版を観た。何度観ても好きなドラマ。スペシャルドラマは中井貴一堤真一綾瀬はるかと豪華な面々。今、公開している『マスカレード・ナイト』も鈴木雅之×木村拓哉という同じ座組なのだけど、『HERO』の良さって福田康の脚本な気もしていて、なかなか手が伸びない。

9月5日日曜日

起床して、卵サンドとボスカフェベース。掃除と洗濯を済ませて、少し読書。福島智『ぼくの命は言葉とともにある』を読み進めている。天気が良いので、自転車で大正区~西区あたりをサイクリング。「カドヤ食堂総本店」の行列に並んで中華そばを食べる。素材にこだわっているようで、滋味溢れるお味。北区の野田まで走り、「八坂温泉」という銭湯に入る。軟水の水風呂が気持ちいい。サウナ3セットで湯上りにポカリ。番頭のおばちゃんがとても感じが良くて、それだけでまた来たい気持ちになった。

最近の『ハライチのターン』で話題になっている大塚食品のマイクロマジックポテトを探している。マイクロマジックの天然だ、養殖だのくだりは、Panpanyaの漫画のようで実に楽しい。帰りに「阪急OASIS」と「コーヨー」に寄ってみるも、マイクロマジックは見当たらず。どこもハインツ日本のオレアイダポテトが幅を利かせている。こちらも赤いパッケージなのでややこしい。当時のマイクロマジックのCMでは「僕のポテトはチンチンチン チンチンポテト」という光GENJI が歌っていた記憶がうっすらとある。さぞかし当時の男の子を喜ばせたことだろう。昼の中華そばでお腹は空かないものの、無性に甘いものが食べたくなり、南森町の「ミスタードーナツ」で芋のドーナツとオールドファッションを買い、それを夜ご飯とする。なぜかひさしぶりに『千鳥のニッポンハピーチャンネル』が観たくなり、ドラマ「ロングロード」のところを観直す。

9月6日月曜日

会議続きで身体が怠い。昼はセブンイレブンのラップロールタンドリーチキン。18時に発表の『キングオブコント』決勝進出者が気になってソワソワ。やったぜ、空気階段ジグザグジギーアルコ&ピースの返り咲きも観たかったけども、とてもいい10組だと思いました。先週の『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながら、夜ご飯は豆腐と納豆とキムチ。とてつもない眠気に襲われてしまい、21時過ぎには寝てしまう。

9月7日火曜日

10時間を超える睡眠のおかげで目覚めバッチリ。この日も京都へ。移動時間が長かったので、『空気階段の踊り場』『真空ジェシカのラジオ父ちゃん』『宮下草薙の15分』『問わず語りの神田伯山』とラジオを消化。営業のメリットはラジオがめちゃくちゃ聞ける、その一点に尽きます。夕方に大きい商談を終えて、ホッと一息つく。この日も豆腐と納豆とキムチ。テレビではキムタクが納豆へのこだわりを語っていた。帰宅して、少し仕事。パソコンでの作業中もKanye West『Donada』をずっと流していた。仕事を終えて、TVerで『爆笑問題霜降り明星のシンパイ賞』を観る。とても好きな番組なので、終わってしまうのが悲しい。ヤクルトスワローズの奥川投手が素晴らしいいピッチングをしていたようなので、後追いでチェック。



ひさしぶりに日記をつけてみるも、書くのにとても時間を消費することに気づいてしまった。画像やリンクも面倒くさいので止めたにも関わらず、非常に時間を喰われる。これは続く気がしないぞー。

坂元裕二『大豆田とわ子と三人の元夫』2話


『大豆田とわ子と三人の元夫』というドラマは、ロケーション・インテリア・衣装・音楽・カメラワーク・・・どの要素をとっても、徹底してオシャレな質感に包まれている。画面だけ見れば、さながらトレンディードラマのようなリッチさであるのだけど、描かれているのは、シャワーヘッドに頭をぶつけてしまう、うどんの丼にイヤフォンを落とす、ソファーにカフェオレを零してしまう、些細な誤解でパトカー連行されてしまう・・・といったように実に卑小な人間の営みだ。これまでの坂元裕二作品の登場人物と同様に、”社会の理“のようなものからはみ出してしまう人々の魂は健在のようだ。今話の主役である中村慎森(岡田将生)の理屈っぽく捻くれて、憎まれ口ばかり叩くそのありようは、まさに坂元裕二の描いてきたキャラクターの典型と言えよう。特に、携帯で動物の画像を眺める所作などからも、『最高の離婚』(2013)の主人公である濱崎光夫(瑛太)の魂の転生を思わずにはいられない。光夫が発した

ちゃんとできないんです
色んなことが・・・ちゃんとできないんです


最高の離婚』4話

という小さな叫びが、彼らの生き辛さを象徴している。慎森もまた弁護士という勝ち組人生のようでいて、あらゆることがちゃんとできない。欠落を抱える人だ。

人を幸せにしたら自分も幸せになれることは知っています
洗濯機でご飯が炊けますか?
洗濯機で髪が乾かせますか?
人間にもそれぞれ機能がある
ボクには人を幸せにする機能は備わっていません

子どもの頃からイベントが嫌いだった
みんなが楽しんでいるものに居場所がなかった
あいつら、何はしゃいでるんだって、隅で悪態ついてた

そんな慎森のこんがらがった魂を解きほぐしてれるのが大豆田とわ子(松たか子)という存在であった。人前で携帯を手にかざして「どーもどーも、お世話になっております」と大声で通話する人間への軽蔑を分かち合えてしまうこと。好きなものが一緒であるカップルを描いたのが『花束みたいな恋をした』(2021)であったのなら、大豆田とわ子と慎森は、”嫌いなもの“で結びあったカップルだ。

慎森「犬派ですか?猫派ですか?って聞かれるより嫌い!」
とわ子「紙でピッて手切れるより嫌い!」
慎森「お休みの日は何してるんですか?って聞かれるより嫌い!」
とわ子「ビュッフェのカレーのお玉の持つとこにカレーついてるのより嫌い!」
慎森「椅子に座ってから券売機で食券買ってくださいって言われるのより嫌い!」
とわ子「戦争より嫌い!」

というように、お互いがどれくらい嫌いかを並べ合う時こそ、なにより息がピッタリと合ってしまう。大豆田とわ子は慎森に「この人と出会えたオレ、世界一幸せだ!って思える瞬間があった」とまで言わせる存在だ。その瞬間はおそらく、オレンジのソファーに座っていたあの時間。

いいんだよ
はみ出したって
嫌なものは嫌って言っとかないと
好きな人に見つけてもらえなくなる

という大豆田とわ子からの“赦し”をもらえた瞬間を指すのだろう*1。人のダメなところをおもしろがり繋がっていく。はみ出しと欠落を肯定するその筆致は、『カルテット』(2016)から地続き、おしりを出した子 一等賞なのである(にんげんっていいな)。

みんなおもしろい
みんなのおもしろいところを
みんなでおもしろがって
欠点で繋がってるの
ダメだねーダメだねーって言い合ってて


『カルテット』6話



慎森が食べる犬用の最高級缶詰(ビーフ&チキン)、慎森が愛でるパンダ(白と黒)というように今話を支えるモチーフが、“混ざり合う”であることが冒頭で示唆される。それゆえに画面上には“溶ける”や“混ざる”や“繋がる”といったイメージが溢れている。お風呂の入浴剤、大豆田とわ子が購入する身体が溶けるソファー、バスケットボールのパス、見つめ合う恋の6秒ルール、チーズフォンデュ、恋人繋ぎ、溶き卵(すき焼き専用卵)、ゼロ距離での充電完了、モルック・・・これらは「人は誰かと出会い、混ざり合うことで変わっていく」という物語の結論を支えているのだ。人は誰かに影響されることで、簡単に変われる。カフェでたまたま居合わせた高校生の女の子の勉強風景が、大豆田とわ子に社長を引き受けることを決断させたように。慎森もまた今話において大きく変わっていく。慎森お得意の「〜っているかな?」という嫌味は、今話においてはすべてが反転していくことに気づくだろう。「お土産っているかな?」→今年115歳になる巨匠の作った醤油を持参、「スポーツっているかな?」→ストリートでバスケットボールに励む、「挨拶っているかな?」→こんばんわすき焼き、おはようございます、「人間って走る必要あるかな?」→連行された大豆田とわ子を助けるためのダッシュ、「いちいち離婚した、って言う必要あるかな?」→警察署での「大豆田とわ子の離婚した元夫です」、そして、結婚時代に言えなかった「がんばっているね」の一言を大豆田とわ子にかけることに成功する。慎森は変わっていく。「人を幸せにする機能は備わっていない」はずの慎森に、かつて幸せを与えてくれた大豆田とわ子が混ざり合い、不当解雇に喘ぐ女性を救う正義の弁護士として動き出すのだ。

君は昔も今も頑張っていて
いつもキラキラ輝いてる
ずっと眩しいよ

別れたけどさ、今でも一緒に生きてると思ってるよ

大豆田とわ子と中村慎森の結婚は終わった。失くした時間は取り戻せないし、捨てたものは帰ってはこない。しかし、かつてすべてをわかり合えるような人がいたという決して消えることのない記憶はずっと輝き続け、今を生きる“わたし”に溶け合っているのだ。

*1:ちなみに、『最高の離婚』においては、光夫はこんな風にして、その歪さを結夏(尾野真千子)に赦され、そして別れる。「光生さんは一人が向いてる。 ・・・ほら、逆ウサギだよ。 さみしくないと死んじゃうの。 バカにしてんじゃないよ。 光生さんの、そういう光生さんのところ、好きだし、面白いと思うし。 そのままでいいの。 無理して合わせたら駄目なんだよ。 合わせたら死んでいくもん。 私があなたの中の好きだったところがだんだん死んでいくもん。 そしたら、きっといつか私たち駄目になる。」

坂元裕二『大豆田とわ子と三人の元夫』1話

<A面>

オレンジ色の上下のジャージを身に纏った大豆田とわ子(松たか子)が、オレンジ色の布で囲われた公園を歩いている。このはじまりが象徴的なのだけど、この『大豆田とわ子と三人の元夫』というドラマにはあまりにも“オレンジ”に満ちているのだ。大豆田とわ子が入店するお洒落なパン屋の軒先、大豆田とわ子の住む部屋のカーテンとソファーと照明、大豆田とわ子が拾うパスタ、大豆田とわ子が出席した従兄弟の結婚式会場の照明、大豆田とわ子の娘が飲むオレンジジュース、大豆田とわ子の3番目の夫の髪色、2番目の夫の着るアウターの切り返し、1番目の夫の名前の響き(ハッサク*1)、大豆田とわ子の履くサンダル、大豆田とわ子の持つバッグ、大豆田とわ子の同僚の洋服、シロクマハウジングのオフィスの証明、ミニチュアの家の屋根、大豆田とわ子のiPhoneの背景トーン、大豆田とわ子が焦がれるカレーパン、大豆田とわ子の履く靴、大豆田とわ子の友人が持参した柿ピーの袋、通行人の履くスカート、通りがかる船の屋根、大豆田とわ子の娘が勉強するドリルの表紙、食器洗濯機の留め具、大豆田とわ子が誘われた映画『最高な人生のはじまりを見つける幸せなパン』の題字、大豆田とわ子の幼少期の思い出のトーン、徹夜明けの紙コップコーヒーのカバー、大豆田とわ子の同僚の洋服②、大豆田とわ子が倒して直す自転車、大豆田とわ子が穴にはまった工事現場のガードレール、大豆田とわ子が振る舞われた柳川風うどん、街灯、大豆田とわ子と元夫達が漕ぐブランコのレール・・・画面にオレンジのトーンが登場しないシークエンスは存在しないと言っていいだろう。


さらに、大豆田とわ子が待望のバスタイムに機嫌を良くして歌われる「ロマンティックあげるよ」である。松たか子のそのあまりにも卓越した歌声に耳を奪われてしまうのはさておき、「ロマンティックあげるよ」をエンディングテーマに、続けて歌われる「魔訶不思議アドベンチャー」をオープニングテーマとする『ドラゴンボール』の物語を駆動させる球体の色は、そして主人公である孫悟空の道着の色は何色だったか。身に纏うものや部屋のインテリアから、大豆田とわ子が“オレンジ”という色を好んでいることは推測されるが、その他のオレンジはランダムに規則性なく現れる。つまり、オレンジはそこかしらに点在していて、大豆田とわ子を誘惑するのだ。それはつまり、大豆田とわ子が「一つの場所に留まることができない」ということのメタファーだ。

お洒落なパン屋に(オレンジの)ジャージで入れる大豆田とわ子
商店街だって全然(オレンジの)ジャージで歩ける
なんだったら電車だって乗れる、新幹線だって

大豆田とわ子は“オレンジ”のジャージを身に纏い、どこにでも行けてしまうのだから。留まることができない大豆田とわ子は離婚を3回繰り返す。四十九日が過ぎた母親の遺骨をお墓に納めることができないし、「出港!」と冒険の旅に飛び出す船長に心惹かれしまう。


劇中を支えるのはこの大豆田とわ子の“留まれなさ”、そして、”溢れ出てしまう“というフィーリングだ。取り除きたい靴の中に入った小石、外れてしまう網戸、棚から溢れ落ちるパスタ、歯に挟まった後出てくる“味ゾンビ”としての胡麻、中身が出ちゃう餃子、飛び散る醤油の小袋、溢れるアイスカフェオレ、そして溢れて出したそれを拭く三人の元夫達。大豆とわ子は三人の元夫から逃れるように隠れた台所の引き戸からも、どうにも留まることができず、飛び出してしまう。そして、第一話は大豆田とわ子を縛りつけていた“パスワード”は解除されることで終わりを告げる。


この“留まれなさ”溢れでる”という感覚がもたらすのは、カテゴライズされることへの拒絶だ。3回の離婚歴を持つ人に出会った時、我々が抱く印象は「結婚式のスピーチは頼めない」というのとそう大差はないだろう。もしくは魔性の女?自暴自棄な人?いやしかし、我々が目撃した大豆田とわ子は、そんなありきたりな枠には当てはまらない多様な魅力を持った人間だ。留まることはできないが、幸せになることもまた諦めない。ダイバーシティという言葉が浸透したこの現代における新しい幸せのあり方*2を、大豆田とわ子が提示してくれることを望んで止まない。

まぁ色々あるさ
色々だよ
どっちか全部ってことはないでしょ
楽しいまま不安 不安なまま楽しい

<B面>

結婚式の引き出物のバームクーヘンを手掴みで歩きながら頬張るだとか、お風呂に入れてない自分の体臭を気にする仕草だとか、英字新聞がプリントされたシャツばかり着てしまうだとか、その英文を読み上げてしまうだとか、人の家のお風呂で熱唱するだとか、鼻を摘み合うだとか、「グンモー」という挨拶だとか、布団が吹っ飛んだという駄洒落で繋がりを強くする会話だとか、「ねっ?」という呼びかけだとか、三者三様のストローの咥え方だとか、喪服を着た大人がブランコを漕いでみたりだとか。こういった小さな営みが紡ぎ出す豊かなイメージの積み重ねだけで、人間の愚かさと愛おしさを描いてしまうという筆致は健在。もう抜群に面白いのだが、これまでの坂元作品に慣れた人ほど今作には面食らってしまうではないだろうか。まるで坂元裕二による自己否定のようなのだ。

離婚っていうのは自分の人生に嘘をつかなかったって証拠だよ
100円拾って使うのは犯罪だけど
100回離婚するのは犯罪じゃないからね

といういかにもな坂元節の名言が飛び出せば、「さすがいいワイン飲むと、いい事いうね」と茶化されるし、自身を雑談マニアと称し、その雑談力こそが作品のチャームであったはずであるのに、「雑談っていります?」と中村慎森(岡田将生)に言わせてしまう。『最高の離婚』(2013)において、物語を揺さぶり続けた“離婚”という選択をいとも容易く3度も繰り返してみせる大豆田とわ子。『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2015)なんて台詞は死んでも吐かなそうな大豆田とわ子。

人を好きになった瞬間って、ずーっとずーっと残っていくものだよ

というのは、『東京ラブストーリー』(1991)に登場して以降、繰り返し語り直されるテーマなのだけども、今作においてそれは早くも登場する。

お湯が水になり、やがて氷になったとしても、その氷は鍋で沸かしたらもう一度お湯になるよね?

お湯の水が氷になったとしても、必ずしもその氷はお湯に戻らないこともないと、僕は思う

お湯が夫婦だとしよう
その、そのお湯の熱もやがて冷めて、氷になる時
水が氷になる時
その氷はお湯だった時のことを決して忘れはしないだろう?

まるで、かまいたちの漫才のように「もう1回言ってもらえます?」「どういうことですか?」と聞き返され、3度も繰り返されギャグのように処理されてしまう。


そして、今作に漂うリッチでオシャレな質感は何事か。

洋貴「服買ったほうがいいんじゃないですか?」
双葉「え?私、なんか変な...変な服着てますか?」
洋貴「てゆうか」
双葉「変ですか?」
洋貴「今日東京行ったんですけど、結構みんな“オシャレ”でしたよ」
   (互いを指差して)こういう感じの人達あんまいなかったですよ」
双葉「あぁ...私は、まぁこういうので充分です」
洋貴「僕もまぁこういうので充分ですけど」


それでも、生きてゆく』(2011)

音「(OLの彼女は)どんな服着てる?」
練「服?えっ、服はぁ....」
音「(自分の服と靴を指して)こういうのとはちょっと違うでしょ?」
練「もうちょっとオシャレっていうか...」


いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(2015)


といったように、2010年以降の坂元作品を雑にまとめてしまえば、“オシャレじゃない人々”を描いていたように思う。社会に搾取され、生きづらさを湛えた人々。しかし、今作の登場人物は建設会社の社長である大豆田とわ子をはじめとして、レストランオーナー、カメラマン、弁護士といったお金に余裕があり、奥渋谷といった東京の中でも感度(と家賃)の高い街に住む人々。センス溢れる服やインテリアに囲まれて暮らしている。坂元裕二のキャリアの出発点であるトレンディドラマ時代へ行き戻るかのようだが、“生きづらさ”がデフォルトと化した現代において、エンターテイメントが提示すべきものは憧れや豊かさであるのかもしれない。


何より気にかかるのはその新たな話法だろう。映画『花束みたいな恋をした』(2021)でも顕著であったモノローグの多用は健在。さらに今作においては一人称と三人称が溶け合ったような視点のナレーション。否が応でも耳につく伊藤沙莉のナレーションが状況や心情を矢継ぎ早に説明していく。

これは歩いている大豆田とわ子
靴の中に小さい石が入ってしまった
靴の中に入った小さい石を
靴を脱がずに取り出そうと試みている大豆田とわ子

説明台詞というものを極力排除することに注力していたこれまでの坂元裕二のペンであれば、松たか子の独特な足の運動とその表情でもって、そこで起きている状況を視聴者に理解させ、さらには大豆田とわ子のどこかズボラで、周りからズレているという“人となり”までも察してください、といったような作りになっていたはず。しかし、このナレーションは大豆田とわ子についてのみ語るのだ。であるから、大豆田とわ子のため体勢を変えずに5時間じっと座っていた田中八作(松田龍平)の優しさは、さりげないストレッチ運動で示され、説明されることはない。


「元夫の珈琲に塩を入れる大豆田とわ子、船長さんとお近づきになる大豆田とわ子、元夫たちがブロッコリーで戦うのを見守る大豆田とわ子、元夫と朝を迎える大豆田とわ子・・・」というように今話のハイライトを先見せするというのに至ってはもはやご乱心としか思えない。いや、こんな風にして、作風の型にはめられることを拒んでいるのかもしれない。坂元裕二もまた、これまでの型に留まらないことを選んだのだ。網戸を外して放り投げる大豆田とわ子のように。もしくは、ボーリングのピンを少しだけ倒して見せる大豆田とわ子のように。

*1:はっさくと言えば、『最高の離婚』『問題のあるレストラン』に出てくる猫マチルダとはっさくである

*2:一人でも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい

空気階段『anna』


普通じゃない人々への讃歌とラジオ、そしてお笑いのある世界への愛。コロナウィルスの影響で2回の延期を経て、ようやくの開演となった第4回単独公演『anna』は、彼らの代表番組『空気階段の踊り場』(TBSラジオ)がそのまま具現化されたようなコントに満ち溢れていた。そして、空気階段の2人の演技の巧みさ。身体の置き方、視線の動かし方、まさに人間の“実存”というものを表現している。間違いなく彼らのキャリアの大きなジャンプアップ。かもめんたる、シソンヌというそびえ立つコントチャンピオン達の単独公演に肩を並べる傑作の誕生だ*1。以下ネタバレを含みますので、未見の方は5月に発売のDVDを観賞後にぜひ。

<僕はみなさんのちゃんとしてない所が好きなんです>

才能枯渇という苦悩から逃れるために全身整形によって別人として生き潜む伝説のミュージシャン、AV女優をこよなく愛する天才サイコハッカー、小学生の頃に自作した漫画のコンセプトカフェを開く男、コインランドリーの洗濯機に潜り込み心の汚れを落とそうとする警察官、勃起のメカニズムを電力に変換すること成功した電力会社・・・社会からはみ出した有象無象のアウトサイダー達の在り様が、ラストコント「anna」における山崎と島田という2人のラジオリスナーの恋物語に奉仕していく。伝説のミュージシャンも変態警察官も同じラジオ番組のリスナーで、島田の山崎へのラジオを通しての告白は天才ハッカーの電波ジャックによって邪魔され、島田はコンセプトカフェ店長の娘であるし、2人の恋のハイライトを照らす夜景は、虚しい男達の勃起が作り出したものであるのだ。その複雑に絡み合った構成に胸を打たれるのは、伏線回収の巧みさではなく、空気階段がこの歪な世界をまるごと描こうとしているからだ。アウトサイダー達の卑小な蠢きと慎ましくも美しいラブストーリーと同列に並び立って世界はできている。

汚れがどうたらこうたら言ってっけど、
お前が言ってるその不安と怒りとか悲しみとか
そういう汚れっつーのが
人間がみんな抱えて生きていくもんなんじゃねぇの?
汚れなの?ほんとにそれって

「コインランドリー」の劇中で下着泥棒に扮した鈴木もぐらが放つこの台詞が、空気階段の描くコントの核だろう。人間は愚かで醜く哀しい。それでも、そこから目を背けることなく、ダメなところをおもしろがって、そこに”愛おしさ“を見出す。そうすることで人を繋がっていく、恋に落ちていく。空気階段は、「恋することの尊さ」を訴え続けるコント師だ。恋をすれば、それまで薄暗かった人生が薔薇色に変わる。

君に彼氏がいたら悲しいけど
「君が好き」だという それだけで僕はうれしいのさ

君に好きな人がいたら悲しいけど
君を想うことがそれだけが僕のすべてなのさ


銀杏BOYZ夢で逢えたら

そして、たとえその恋が身を結ばなくとも、「恋をした」というその感触だけが、わたしたちを生かし続けるのだ、と。



<どうしようもなくやりきれないことをやり直すということ>

水川かたまりの公開プロポーズからの11ヶ月でのスピード離婚。それを笑い飛ばしてみせるOPコントに顕著なように、ラジオという媒体に文字通り生かされてきた鈴木もぐらと水川かたまり、もぐらと銀杏BOYZ峯田の関係性、住まいをAV撮影現場に提供したかたまり、極度に緊張すると勃起してしまうかたまりのエレクトすることへの偏狭的な関心などなど、『空気階段の踊り場』のリスナーが共有している空気階段の人生がこれでもかと物語に落とし込まれている。テレビドラマ作家である坂元裕二が舞台『またここか』で“物語を書く“という行為をこう表現している。

小説に書くのは二つのこと。本当はやっちゃいけないこと。もうひとつは、もう起こってしまった、どうしようもなくやりきれないことをやり直すってこと。そういうことを書く。そこに夢と思い出は閉じ込める。それがお話を作るってこと。


坂元裕二『またここか」(2018)

やりきれない気持ちを笑いに、物語に昇華させる。水川かたまりがコントを書き上げる筆致はまさにこれだろう。


『anna』という傑作公演において、たくさんの人の頭にハテナマークを浮かばせた「Q」というコント。

僕は君だよ
君は僕だよ

と七色のタイツを履いた何者かの指揮のもと、無数の自分自身に取り囲まれるという異様にドラッギーな作品だ。しかも彼らは、ラストの長編コント「anna」においても登場し、放課後の島田の告白を阻止してしまう。このQという存在を読み解くヒントは『空気階段の踊り場』#136のクラウド放送「青春時代の介入」にある。放送内容を要約してみよう。

もぐらが中学3年生の時のこと。突然クラスの1軍女子軍団に囲まれ「今日、翔くん(もぐら)に誰かが告白するって言ったら付き合うよね!?」と問い詰められる。もぐらが「はっ?どういうこと?」と尋ねると、「いや、だからぁ、ウチらの友達に翔くんのこと好きな人がいるんだけどぉ」とのこと。それが誰なのかいくら尋ねてみても、教えはてもらえない。もぐらは「うれしいけど、相手が誰なのかわからなくては、付き合うとは保証できない」と突っぱねる。その日はずっとドキドキして過ごすも誰も告白には来ることはなく、その後も音沙汰なく、もぐらの中学生活は終わっていったという

こんなシチュエーションに置かれても告白という体験をすることができなかった状況に、もぐらは「誰かに介入されていたんじゃないか?」と「誰かの手で自分の未来を書き変えられたのでは?」という感触を得る。もし、そこでもぐら彼女ができていたらGOING STEADY銀杏BOYZにはまることもなく、ギャンブルにもはまらず、芸人にすらなっていなかったかもしれない。いや、それどころか、この“介入”のせいで自分は30歳まで彼女もできず、借金も700万という人生になっているのではないか!つまり、Qというのはこの”介入“を具現化したものなのだ。そして、「anna」というコントは、過去のもぐらと同様に、介入によって為されなかった告白を、やりきれない過去をやり直すために誕生したのである。

放送を重ねるごとに”介入“という現象に取り憑かれていく2人は、「わたし介入されました」という体験談をリスナーに募っていくことになる。#142の本編で読まれたラジオネーム“なまず”の投稿が、介入者であるQのヴィジュアルイメージのソースとなったことは想像に難くない。

僕が3歳の頃
弟が生まれるのでおばあちゃんの家にひと月ほど預けられていたのですが
ある日僕がフラフラと外に出掛けて迷子になりました
帰れなくなっていた時
ある路地に入りました
そこに猫が1匹いたのですが
その猫が僕に向かって鳴いてきたのです
そうしたら他の猫たちも寄ってきて
周りを取り囲みました
ニャーニャーと鳴かれて、取り囲まれ
僕は泣き出しました
するとその時、ジャラジャラと鎖に首を繋がれた犬が来て
僕の後ろに立ちました
犬は鳴きませんでしたし、猫は鳴き止みませんでした
不思議な包囲網でした
何分くらい経ったかわかりませんが
猫が一斉に鳴き止み
犬が後ろを向いたら
その方向から大人がやってきました
知らないおばちゃんでしたが
その人が僕をおばあちゃんの家まで連れて行ってくれるという
不思議な体験をしたのです
もしその体験がなければ
今、僕は36歳無職童貞じゃなかったのかもしれません
友達もたくさんいて普通に就職して、結婚し、普通の人生を送っていたはずなのです
謎の存在に介入されたのではないかと思っています

この謎の体験談を元に創造されたのが介入者Qだ。そして、劇中における「僕は君だよ 君は僕だよ」という台詞にあるように、介入者というのは自分自身なのかもしれない。色んな世界線の自分、その後悔や希望。やり直したい過去、こうなってしまった現在、あったかもしれない未来・・・そんなあらゆるパラレルを物語に落とし込むことで、空気階段はあらゆる角度から人生そのものを肯定してみせるのだ。

いやー、まぁ、こんな人生もあるよね!

*1:今作ではじめてお笑い単独公演を観た、という方にはぜひかもめんたるとシソンヌの公演にも触れてみてほしい