青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

安達奈緒子『G線上のあなたと私』2話

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楽しくしてれば、こっちの勝ちだ

まさに、悲しみを明るさで塗り替えよういうこのドラマのトーンを言い表した素晴らしい台詞だ。也映子が、悲しい思い出のドレスを、発表会の楽しい記憶に塗り替えるとするのがこの2話のはじまりである。


「照れちゃってるよ〜青少年が」といったようなコミカルさに心地よく浸っていると見過ごしそうになるが、通常のドラマが山場として設定しそうな出来事をことごとくスルーしていやしないか。前話において、3人がともに目指すべき目標として設定されたバイオリンの発表会。その課題曲は全員一致で「G線上のアリア」に決定したのだけども、演奏レベルが達していないという理由から「星に願いを」に変更されてしまう。そして、いざ本番を迎えた発表会は緊張のあまり散々な結果に。こういった出来事をいとも簡単に処理してしまっている。課題曲の変更にも「ですよねー」と受け入れ、失敗に終わった発表会も、「もっと練習して、次も発表会に出る!」とすぐさま立ち直るのだ。これが管弦楽部の青春ドラマではこうはいかないだろう。課題曲の変更に必死に抵抗し、発表会の失敗に泣き叫ぶに違いない。しかし、『G線上のあなたと私』は、当人が「この世にこれほど無駄なものがあるだろうか?」までと言ってのける“大人の音楽教室”のお話であるから、そういったドラマメイクに注力しないのである。それに、この現代社会は、“悲劇のヒロイン”でいることも簡単には許してくれない。そんな現代だからこそ、繊細な感情をドラマに仕立てあげることが物語を紡ぐことの意味になるだろう。たとえば、結婚式で着るはずだったドレスをフリマアプリで売り払うこと。「もっと楽しくなるはずだったのに」と悔し涙を流すこと。仲間同士の距離感に嫉妬を覚えること。苗字ではなく、名前呼びし合うことのくすぐったさとあたたかさ。


「前に進む」とか「本気で好き」とか「相手と向き合う」とか、なんだか聞こえのいいフレーズで気持ちを言語化しようとすること自分自身に、也映子がブチ切れるシーンは出色だ。

何なの?本気で好きって
・・・言われて、ずっと気になってたんですよ
何がどうだったら
本気で好きって言えるんですか?
好きなとこ100個言えたら?年数?
それともなんか、物差しみたいなものがあるわけ?
メジャーでこうして・・・こうして測れるもんなの?
違うよね?そんな 数字とかそういうことじゃないよね?

簡単に言語化できないところに、人間の本質はあって、それはきっととても複雑に絡まった形をしている。だから、人はマカロンや大福やたこ焼きといった“丸いもん”に惹かれるのかもしれない。