青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

『キングオブコント2019』 かが屋のコント美学

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かが屋のコントは美しい。コント内で鳴る扉のベルの音が複層的に響く。「会計を済ませたお客がドアを開けて店を出ていく音を、待ち人の到来と勘違いしてしまう」という複雑な心理描写をベルの音と表情だけで表現してしまうのだ。こういったコントを私は美しいと思ってしまう。暗転の度に「数時間前・・・」という影ナレを入れれば、あのSNS上でのカレンダーと時間軸を巡る不毛な議論も生まれなかっただろう。しかし、コントにおける不要な説明の省力が、かが屋が信じぬく美学だ。しかし、そこにあるのはただの美学だけではないだろう。どぶろっくの下ネタミュージカルによって焼け野原と化したスタジオの空気を一発で掴んだ賀屋のあの表情が、店内に流れる「蛍の光」のリプライズが繰り返されるたびに、どんどん哀愁を帯びていくというシステムは、影ナレがないことでより効果的になる。そういう計算がしっかり貫かれている。


普段は黒と白のシンプルなTシャツでコントを演じるかが屋が、晴れの舞台ではしっかりと衣装を纏っていた。ここにも美学は貫かれている。賀屋演じるプロポーズをする男には記号的にスーツを着せない。いつものデニムに少しだけ背伸びしてカッチリしたジャケットとシャツ。こういったこだわりが、わずか4分のコントの中のドラマに奥行きを生んでいく。加賀が演じる喫茶店で働く男はエプロンの下の長袖シャツを腕まくり。水仕事をこなすカフェ店員のリアリティがここにある。そして、長時間、大きなバラの花束を持ち続ける男の腕はしっかりと痺れる。痺れを散らすために腕をふり、その所作の延長で腕にはめた時計の時間を確かめる。こういった何気ない細部が、小さなドラマの中に世界をしっかり立ち上げている。


かが屋は、“恥らい”や“気まずさ”といった人間のコミュニケーションの中で生じる感情の機微を拾い上げることを得意とするコント師だ。しかし、コントの後味として、底意地の悪さではなく、人間が根源的に持つ“優しさ”のようなものがじんわりと残るのが、かが屋のカラーであり強みだろう。男はバラの花束を抱え入店し、「あとでもう1人来ます」と店員に見栄を切った。店員は「もうちょっとで来るから、がんばりましょう!」と男を何度も励ます。しかし、待ち人は来ない。この両者の、触れて欲しくはない気まずさが笑いを生んでいく。その点もさることながら、「待ち人が来ない」というお客の現象に、店員も共に胸を痛めたり、喜んだりしている。ここが素晴らしいではないか。人は、誰かの出来事を“わたしたち”の事として思考できる生き物なのだ。どんなにコミュニケーションですれ違おうとも、わたしは1人ではない。そんな優しい風を、かが屋のコントは運んでくれる。『キングオブコント2019』決勝進出おめでとうございました*1

*1:かが屋の2人に大きなイチモツを与えてあげてください