ニンゲン観察バラエティ モニタリング『オードリー・春日俊彰のプロポーズ大作戦』
クミさん。
今までたくさんの手紙をもらってきたけど、今日はじめて手紙を書きます。
昨日、家にある数々の手紙を読みかえしてみました。春日の誕生日、バレンタイン、クリスマス、一ヶ月記念、一年記念、春日が入院したとき、M-1の日。そのどれもが春日に対する気持ちであふれ、体のことを心配してくれ、最後は必ず「また、来年も同じように祝いたい」で終わっていました。
すべての手紙に2人の将来に対してのたくさんの期待が詰まっていました。しかし年々、手紙の数は減っていき、最後の手紙は5年前のことでした。手紙に変わって「結婚のことはどう考えてるの?」というメールになりました。
不安にさせて、悲しくさせて、つらい思いをさせて、ごめんなさい。結婚している友達が多くいる集まりで話に入っていけず、台所で料理をさせるふりをさせてごめんなさい。結婚で何かが変わってしまうのが、怖かったんです。クミさんのことより、自分のことしか考えてこなかったんです。 好きな人の一生を幸せにする覚悟が生まれるのに10年もかかってしまいました。
長い間、待たせてごめんね。これからも携帯をいじって、ハイボールを飲んで、寝るだけかもしれないけれど、焼き肉は絶対食べ放題かもしれないけど、誕生日プレゼントは中古かもしれないけど、ただ温泉に行くとき、たまには特急に乗りましょうか。
この先の普通の日を、一緒に、普通に過ごしたいです。
手紙の中で、2人のラブストーリーが、10年というずっしりと重い大きな時の流れが、「彼女の部屋で携帯をいじりながらハイボールを飲んで、眠りこける」という、とても"小さな"時間に解体されていく。これまで無数に繰り返されてきたそのささやかな時間こそが、何よりもいとおしいものであると、春日は確信しているのだ。食べ放題の焼き肉屋に行くこと、誕生日プレゼントに中古の家電をプレゼントしたこと・・・テレビドラマにはなりえない些細な事象かもしれないが、これらのシーンには、生きていることの喜びや切なさに満ちている。
この先の普通の日を、一緒に、普通に過ごしたいです。
まさに名文である。これを春日が言うから、また良いのだ。常識外れの超人の役割を全うしているオードリー春日が放つからこそ、"普通"という言葉は、何よりも尊く、かけがえのない音として、世界に響いた。いや、逆説的に言えば、カメラの前で超人の仮面をかぶり続けている春日だからこそ、わたしたちが見落としがちな日常のささやかな喜びを見つめ、すくいあげることができたのかもしれない。その前の「たまには特急に乗りましょうか」というラインから、同じ乗り物にって人生を進んで行くという決意のようなものが、鮮やかな直線の運動で浮かび上がってくるところも素敵だ。
手紙の素晴らしさを噛み締めている内に、『フライデー』によって春日の浮気が報道されてしまった。しかし、報道を受けての『オードリーのオールナイトニッポン』での若林による春日の落ち込みようの描写が素晴らしかった。ロケ撮影中も反省からか終始ローテーションを保っていながらも、蔵からキン骨マンとイワオのキンケシが出てきたときばかりは、テンションが上がっていたというくだりには、「坂元裕二のテレビドラマが描いていたのは、人間のこういう側面だよな」と心の中で独りごちた。人間ってみっともなくて、だからこそ愛おしい。