青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『anone』3話

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突然の拳銃の介入、3話はこれまで以上にダーティーで穏やかではない。しかし、シリアス一辺倒というのでなく、細部のやりとりはコミカルさで彩られてもいる。川瀬陽太が演じる西海隼人という複雑な人間の存在が、物語を混乱させているのだ。モデルガンを改造した拳銃で、上司を撃ち殺した凶悪な犯人。であるはずなのに、3話を通して印象に残るのはその残虐さよりも、人間としての”可愛げ”だ。犯罪行為の真っただ中であるにも関わらず、嬉々として銃についての知識を語り、子供番組に癒され、「だって可哀想じゃん」と迷いフェレットを飼い主の元に届けてあげる。人質であるはずの持本(阿部サダヲ)との会話は、一丁の拳銃さえなければ、幼馴染との他愛のないそれにしか聞こえない。この西海という男の在り方を、青羽(小林聡美)の言葉通り「頭が悪いだけ」と切り捨ててしまうことも可能だが、この善/悪のスイッチのシームレスな切り替えこそ、”人間そのもの”という気がしてくる。

ああ 白黒つけるのは恐ろしい 
切実に生きればこそ


Doughnuts Hole「大人の掟」

『カルテット』でも繰り返し語られていたとおり、人は”生”の切実さを深めるほどに、あらゆる感情が混ざり合い、こんがらがっていくものなのだ。青羽が指摘したように、「主客転倒」と責められるかもしれないが、西海は現代社会の被害者のように思える。過度な労働や、埋めがたい孤独が、西海に拳銃を握らせた。そして、彼は社会というシステムからの脱出として、その拳銃でもって自らの命を断つことを選ぶ。持本の必死の説得も虚しく・・・

死んでもいいって言うのは
生まれて来て良かったって思えたってことだよ
生まれて来て良かったって思ったことないうちは
まだ死んでもいいって時じゃない
生きよう?生きようよ!生きるってことは素晴らしいよ

1話での「自分、ちょっと今、名言怖いんで」「名言っていいかげんですもんね」といった予防線の甲斐なく、こういった持本の説得の言葉が、魂の叫び・名言としてメディアで取り沙汰されている。公式アカウントすらその風潮に乗り、「緊急企画‼️好きな名セリフランキング」なんてものを実地する始末*1阿部サダヲの熱演に騙されてはいけない。文字に起こしたものをよく見つめてみて欲しい。ペラペラ、相田みつをのカレンダーが貼られたトイレに三日も籠れば、自然とでてくるような言葉ではないか。断言してもいい、坂元裕二はあのシーンの台詞を「名言」として書いていない。むしろアイロニーを込めて、名言めいたものに擬態させているのではないだろうか。どうしても、この作品に貫かれる言葉の力を、名台詞として取り上げるのであれば、「自分がいてもいなくてもどっちでもいい人間だって/45になって思うんだ、ハタチの倍思うよ!」という悲痛かつ普遍的な叫びのほうだろう。


前述の説得の言葉は西海に響くどころか、鈍い暴力で持本に返って来る。末期癌を患っているという告白さえも、「すぐにバレる嘘を言うな」と突き返されてしまう。3話で展開された「例のこと/玲のこと」「(子供は)男の子?女の子?/これから社長に線香上げに行ってもいいですか?」などの、ひたすらに噛み合わない会話の数々からも明白だが、坂元裕二は「人は言葉ではわかりあえない」という絶望を抱えた作家なのだ。『それでも、生きてゆく』(2011)にも、似たような説得のシーンがある。

今朝、朝日を見たんだ
便所臭いトイレの窓から朝日見えて・・・
そんなこと あそこに住んで一度も感じたことなかったんだけど
また今日が始まるんだなって
悲しくても、辛くても、幸せでも、空しくても、生きることに価値があっても、なくても
今日が始まるんだなって
あの便所の窓からこの15年間毎日ずっと
今日が始まるのが見えてたんだなって
うまく言えないけど  文哉さ
俺、お前と一緒に朝日を見たい
一緒に見に行きたい
もうそれだけでいい

妹を殺した幼馴染の殺人犯に向けた渾身の救済と説得の言葉。セオリーに沿うのであれば、犯人は涙を流して改心するだろう。しかし、坂元ドラマにおいてはそうはならない。殺人犯から返ってくるのは、「ご飯まだかな」の一言のみ。さらに、坂元裕二は、是枝裕和とのトークショーにおいて

説得のシーンをこれまでいっぱい書いてきたのだけども、最近は言葉で何を言われても人の気持ちは変わらない気がしてきて。色んな手を使って、言葉ではなく、その中にある要素・・・本来、説得にならないものを使って説得していくという手法を最近始めている

という言葉を残している。すなわちこの『anone』においても、人と人の交感は、言葉ではないもので果たされると考えていいのだろう。ハリカ(広瀬すず)の口に貼られたガムテープ、西海・持本・青羽の口を覆うマスクといったルックは、口から放たれる”言葉”というものを否定するかのようである。

その子わたしの娘じゃありませんよ
助けてあげてください

という亜乃音(田中裕子)の矛盾めいた物言いは、言葉が否定された世界だからこそ有効だ。あの瞬間、ハリカは亜乃音の娘に変容している。そして、この『anone』3話で最も注視すべきは、亜乃音のハリカに対する救済と抱擁のシーンだ。

ハリカ:なんでお金渡しちゃったの?
亜乃音:なんでって?
ハリカ :玲ちゃんじゃなかったんだよ、私だったんだよ
    知らなかったの?なんで・・・ごめんなさい
亜乃音:なにを謝るの?
ハリカ:だってお金・・・わたしただのバイトだったんだよ!?
亜乃音:そうだね・・・なんでだろうね
    なんでだろうね

なんでだろうね・・・その言葉にならない領域に”愛”は芽生える。一緒にどっさりもやしラーメンを食べた。誰かのことを強く信じてみる理由なんていうのは、案外そんなことなのかもしれない。ハリカと持本の間の密やかなな絆も、「水を飲ませてあげる」「ソーっとガムテープを剥がしてあげる」「暖房をつけてあげる」といった言葉に頼らない小さな気遣いによって生まれたことも示唆的である。

みんな一緒 3人は連帯責任
逆らったり逃げたりしたら残りの2人を撃ち殺す!

この西海の言葉は、ハリカたちへの死の宣告・呪いである一方で、彼女たちを強く結びつけてもいる。みんな一緒、孤独に傷ついた彼らはひっそりと連帯していく。亜乃音と青羽が、互いの煙草(タール17mgのハイライト、強い煙草だ)に火をつけ合い、煙をふかす。罪の手触りでもって結びつく彼女たちの、心もとない連帯を描いたまさに3話におけるハイライトシーンである。ちなみに、坂元作品における”煙”というモチーフは『カルテット』では以下のように語られていた。

みなさんの音楽は、煙突から出た”煙”のようなものです。価値もない。意味もない。必要ない。記憶にも残らない。私は不思議に思いました。この人たち煙のくせに何のためにやってるんだろう。

頼りなく、無用のもの。しかし、煙(流動体)は儚いがゆえに、風に吹かれれば拡散し、誰かのもとに届くのだ。



<余談*2

3話ではもうひとつ”煙”が印象的に登場する。身代金受け渡し場所、河口にほどちかい川べりに隣接した工業地帯から吐き出される煙だ。この『anone』の舞台設定。県道、川、橋、工場群・・・・どこか既視感がある。そう、岡崎京子の『リバーズ・エッジ』(1994)である。

リバーズ・エッジ

リバーズ・エッジ

海の近く。コンビナートの群れ。白い煙たなびく巨大な工場群。 風向きによって、煙のにおいがやってくる。化学的なにおい、イオンのにおいだ。 河原にある地上げされたままの場所には、セイタカアワダチソウが生い茂っていて、よくネコの死骸が転がっていたりする。 彼ら(彼女ら)はそんな場所で出逢う。彼ら(彼女ら)は事故のように出逢う。偶発的な事故として。

この岡崎京子リバーズ・エッジ』あとがきは『anone』の紹介分としても充分に機能してしまう。すれ違っては、傷を慰め合うように結ばれていく亜乃音たち。彼女たちはその短い永遠の中で、何を見つめるのだろう?*3野島伸司岩井俊二の諸作を彷彿させるモチーフが点在し、この3話では北野武ソナチネ』のルックを大胆に引用してみせている。どうにも、この『anone』には90年代という時代への総決算が裏テーマにあるような気がしてならない。そして、それは坂元裕二が脚本・監督を務めた『ユーリ ЮЛИИ』(1996)という映画の語り直しのようにも思えるのだ。



<『anone』というドラマの特異性>

『anone』の視聴率が低い。この3話においては、「話がとっ散らかっている、視聴率低下もやむなし」という論調が多いのだけども、この3話はむしろ、散らばっていたものが1本道に集結していくまとまりのある回だったように思う。しかし、他のドラマと比べると、文法があまりに異質である故、伝わりづらいのは事実だろう。演出家と役者の作り出す画を、脚本が信頼し切っている。説明台詞のようなものがほとんど排除されているのだ。たとえば、持本が路上からスカイツリーを見上げるショット。このスカイツリーという存在は、その少し前のシーンで登場する工事現場職員の台詞「これって毎年同じ場所掘ってまた埋め直して予算使い果たすためだけの意味ない工事じゃないですか?」と対比されていて、さらに直後の

俺ね、何て言うか自分の手で何かを作りたいんだよね
笑うかもしれないけど
俺がこの世に生まれてきた証っていうかさ
何かを残したいんだよね

という台詞を導き出す。そして、それは無精子症と診断された持本の「子孫を残す」という行為と代替される。あのスカイツリーを見上げるショットこそ、持本の、「生まれてきた証を残したい」という祈りを体現しているのだ。「信用していたハリカに裏切られた」という誤解が解けるさまも、「亜乃音が袋に入った猫缶を見つめる」というショットだけで処理してしまう。「あの娘はちゃんと約束を守っていたんだわ」というような台詞は決して発されないのだ。ボーっと観ていると不要なノイズのように感じるスカイツリーや猫缶へのクローズアップが、物語をエモーショナルに彩っている。これはもう視聴者への信頼だろうし、そういった細部に目を凝らさぬども揺るがない強度を持つ『anone』という物語への自信の現れなのだろう。

*1:ツイート内容といい、番組表のラテ欄といい、『anone』の広報の方向性は作品の内容とかなり乖離しているような気がしてならない

*2:読み飛ばしてもいい

*3:まもなく公開される映画『リバーズ・エッジ』のキャッチコピーより