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アジズ・アンサリ『マスター・オブ・ゼロ』Season 2

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しばらくの間はどんなドラマを観ても、「そんなのアジズ・アンサリがとっくにやっているよ、それも完璧な形でね」なんて生意気なことを唱えてしまいそうである。それもこれも『マスター・オブ・ゼロ』のせいだ。それほどに今年リリースされたシーズン2の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。シーズン1の充実をはるか凌ぐエモーションと語りのバリエーション。僅か数十分のエピソード10回分を通して、人生というものが内包する可笑しさ、哀しさ、美しさ・・・そういったあらゆる側面を語りきってしまっているのでは、と感嘆の溜息が漏れてしまう。6話の「ニューヨーク、アイラブユー」の素晴らしさは100年語り継がれていくべきだろうし、ラスト2話のラブストーリーとしての鮮烈さも胸を打つ。リアリティ溢れる生々しいやりとりはもちろん、部屋のソファーで映画を楽しむ2人に発された大雪警報、帰れない二人、大きすぎるワイシャツを着た彼女と夜中のパジャマダンスパーティー、繰り広げられるツイスト・・・なんていうモチーフの豊かさ。もしくはヘリコプターからニューヨークの夜景を眺めながらの、防音用の密閉型ヘッドフォン越しの告白はどうだ(秘密の通信が操縦手にも筒抜け、というオチもナイス)。そして、何より全編で繰り広げられるウィットに富んだ会話劇としての秀逸さ。ドラマ作家であれば嫉妬の嵐が吹き荒れること間違いなしの筆致である。あと、音楽のセンスが震えほどかっこいい。



シーズン1同様に、”ミレニアル世代”であるデフ達が、文化の成熟とテクノロジーの発達による「自由な選択」を享受していく様が瑞々しく描かれている。イタリア人のフランチェスカがニューヨークの薬局を訪れ、感激する。

(ニューヨークの)薬局って大好き
イタリアの薬屋は小さくて古い
でもここは大きくて何でも手に入る
歯磨き粉が何種類も!

選択肢が無数にあるって最高!しかし、いくつかの選択肢の中からどれか一つを選びとることは、ときに困難を極める。薬局に無邪気にときめいたフランチェスカも、エピソードを重ねていく中で、「人生を共にするのはデフ(=ニューヨーク)か婚約者のピノ(=イタリア)か」という選択に葛藤していく。7話におけるブライアンの父のエピソードも顕著だろう。2人のガールフレンドの間で揺れ動き、その果てにどちらからも捨てられてしまう。デフにしても、出会い系サイトを利用し、無数の女の子とデートを重ねながらも誰も選びきれず、仕事においても「やりがいか/金や名声か」という選択に頭を悩ませている。同時に、このシーズン2では、3話における”宗教”や8話における”性的趣向”など、自分が選びとったわけではないものへの葛藤も描かれている。いくら便利な世の中になったとは言え、人の悩みというのは尽きない。徐々に改善されてきているものの、移民二世やホモセクシュアルといったマイノリティとして生きる哀しみは根深いし、生きる上での根源的な”孤独”というのはいつの時代も普遍的だ。アジズ・アンサリの人生に対する所感を簡単にまとめてしまえば

親の世代のがんばりやテクノロジーの進化のおかげで、何かと便利で楽勝な人生の僕たちだけども、やっぱり”今”を生きるってことは、とびきりにやっかいで困難だよね

という感じであろうか。5話のラスト、パーティーが終わり、想いを寄せるフランチェスカを恋人の待つホテルに送り届けた後のタクシー内のデフをカメラは5分間に渡り定点で捉え続ける。30分足らずの1エピソードの内の5分だ!クッキリと1人分のスペースが空いたバックシートを横目に埋めようのない圧倒的な孤独を湛えるデフ。何やら車の外では嵐が吹き荒れている。やっぱり人生ってのはまったく楽じゃないね。


であるからこそ、私たちは人生の断片をとびきりに楽しむ”べき”だ。その幸せだった瞬間を懸命にかき集め、「またいつかあんな時間が過ごせるように」とこっそり祈るのである。それが生きることを諦めないたった一つの方法だ。シーズン2の最終話、デフとフランチェスカは離れ離れになる。フランチェスカはかつてデフとスマートフォンで撮影した動画を見つめる。

ハロー未来の私たち
元気でやっているかい?
楽しかった今夜を思い出してくれ
ふたりとも幸せでいて
これを見る時 僕らはどこにいるかわからないけど
何があっても楽しんで!

世界に向かってハローなんつって手を振るムービー。まさに、かつての幸せだった時間に慰められている瞬間を収め、物語は幕を閉じる。



同じベッドで眠るデフとフランチェスカが映し出されるラストショットの解釈は実に難しい。すべてはデフの見た夢だったのか、それともフランチェスカはピノを捨て、デフの元に戻ってきたのか。あえてどのような解釈も可能な撮り方をされている。1話のはじまりと10話の終わりが、共にベッドで目覚めるデフのカットであるというのは、気になるところだ。「あの芳醇なエピソードが全て夢だった」としてしまうのはあまりに味気ないが、このシーズン2全体に”夢”のような質感が漂っていたのは事実だ。それらは名作映画のオマージュという形で表出している(映画はスクリーンに映し出される夢だ)。『自転車泥棒』や『情事』といった古典映画を無邪気になぞってみたり、「次世代のウディ・アレン」というアジズへの批評を真っ向から受け取り、大胆な『アニー・ホール』へのオマージュを披露したり。
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9話では「傷心したデフがスプラッター映画のように血まみれになり、その様子を男がテレビで観ている」という不思議な挿入シーンも存在する。これらの映画のイメージは6話「ニューヨーク、アイラブユー」での、ニューヨークに暮らす多様な人種、価値観の人々が集まり、暗闇の中で1つの映画を見つめているというラストカットに帰結するのだろう。『マスター・オブ・ゼロ』はニューヨーカーみんなで観る”夢”なのだ。