青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ナカゴー特別劇場『紙風船文様』


岸田國士戯曲賞というのがあるように、演劇界においての権威である(文学界で言えば、芥川龍之介岸田國士の古典『紙風船』(1926)をナカゴー鎌田順也がスクラップアンドビルド。結婚2年目に突入し、やや倦怠期を迎えつつある夫婦の物語だ。とある日曜日、便器(洋式)に落とした指輪を拾おうとして腕が抜けなくなってしまった妻。このままではトイレに閉じ込められてしまうので、「一緒に引き抜いて欲しい」と夫に懇願する。しかし、夫はその願いに取り合わない。それは妻の企んだ”遊び”であり”演技”であり、つまるところ“メタファー”なのだ、と。確かにそれは、家庭に縛り付けられる女のメタファーだろう。黒沢清の『トウキョウソナタ』(2008)

において、専業主婦を演じる小泉今日子がリビングのソファーでうたた寝した後に呟いた

誰か私を引っ張って

あの静かな戦慄の瞬間を想い出す。事実、妻の腕は実際のところ便器にははまっておらず、”引き抜く”という作業を夫と成し遂げることで、この夫婦生活の倦怠を打破しようというもくろみがある。前述のように、そのもくろみは夫に筒抜けでありあるわけだけども、妻は「本当だ、本当に抜けないんだ」の一点張りで、夫もまた折れることなく「嘘だ、芝居だ」とかたくなに一蹴する。この絶望的なまでの”夫婦”の分かり合えなさ”は、ナカゴーお得意ののたうちまわる阿吽絶叫の殴り合いに展開し、肉体によって可視化されていく。「嘘のディテールを塗り重ねるな」「座して死を待つわけにはいかない」といったフレーズは、繰り返しに耐えるおかしさがある。鎌田特有の”しつこさ”の演出の中で、夫婦は最後の最後まですれ違い続けるのだけども、その軋轢を支えているのは、やはり夫婦の愛なのだ、と観る者に感じさせる説得力がこの芝居にはあった。夫婦の愛、いや、言い換えればそれは人間が持つ滑稽でみにくいが故の”愛おしさ”のようなものかもしれない。


原作の『紙風船』においても白眉である“デートごっこ”は健在。やはりすれ違いのもとに繰り広げられるのだけども、少しホロリとさせられてしまう。それまで顔を歪め続けていた川上友里が、夫に写真を撮られる際に、ハッとするような”かわいさ”を実際に表情で見せてくれる。岸田國士版は鎌倉旅行なわけだが、鎌田順也は浅草から三ノ輪まで歩き、ちんちん電車(都電荒川線)に乗り込み、荒川遊園地へのデート。道行く途中で、東京の下町に多く店舗を構えるドラッグストア「ぱぱす」を数えていく、なんてセンスもたまらなく好きだ。小道具は壁と便器のみというミニマムな2人芝居を50分たっぷりと堪能させてくれた 川上友里(はえぎわ、ほりぶん)と古関昇悟に感激である。余談なのですが、古関昇悟がシティボーイズきたろうの息子であることを初めて知る。まったくイメージは結びつかなかったが、血統も折り紙つきの素晴らしい役者だ。ナカゴー『紙風船文様』お薦めです、と書こうと思ったが、28日が最終日であった。残念。



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