青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

坂元裕二『カルテット』3話

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親子でしょ?

という岩瀬純(前田旺志郎)の屈託のない問いかけが、世吹すずめ(満島ひかり)に纏わりつく”呪い”をギュっと締めつける。20年以上音信を絶っていた父の危篤。家族の死に目には駆けつけるのがホームドラマの定石、いや、この世界の”常識”のようなものだ。想いを寄せる別府司(松田龍平)との会話がフラッシュバックしたことだろう。

家族のお祝い事なんで帰ります

“世界の別府ファミリー”から除外され苦しんでいるで別府すら、家族というフレーズの前にはひれ伏さざるえない。しかし、すずめにとって父はどうしても許すことのできない存在だ。最期の最期で全部をなかったことにして、”いい人”になろうとしている父が許せない。

怒られるかな…ダメかな
家族だから行かなきゃダメかな
行かなきゃ…

その零れる小さな叫びを聞き、それまで「病院に行こう」の一点張りであった巻真紀(松たか子)が、ギュっと手を握り、「逃げよう」と語りかける。紛れもない今話のハイライトシーン。

すずめちゃん、軽井沢帰ろう
病院行かなくていいよ
カツ丼食べたら軽井沢帰ろう
いいよいいよ
みんなのとこに帰ろう


わたしたち同じシャンプー使ってるじゃないですか
家族じゃないけど
あそこはすずめちゃんの居場所だと思うんです
髪の毛から同じ匂いして
同じお皿使って
おんなじコップ使って
パンツだってなんだって
シャツだってまとめて一緒に洗濯物に放り込んでるじゃないですか
そういうのでも いいじゃないですか

松たか子の「いいよいいよ」は、テレビドラマ史において忘れ難い”音”となるだろう。この国のホームドラマが新しく更新された瞬間だ、とすら思う。このシーンにおける松たか子満島ひかりの円熟の演技は、心の奥底にこびりついて離れない。勿論、偉大なる前クール『逃げるは恥だが役に立つ』の存在も忘れてはなるまい。

巻の「いいよいいよ」は

そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい

と言い放ったの石田ゆり子を彷彿させる。思わず「家族を超えていけ」というフレーズが降ってくるではないか。“家族”という枠組みから外れ、傷ついた人々の集まりであるカルテットは、冬の軽井沢で身を寄せ合うようにして暮らす。食卓を囲み、皿とコップを共有し、同じシャンプーを使い、同じ洗剤で洗った服を着る。4人は孤独と秘密でもって同じ匂いを纏った共同体となる。「すずめちゃんもう上で寝たら?」「眠くないです」、「おかえりなさい」「ただいま」、こうしたやりとりが自然に発生する彼らは既に”家族”である、いや血の繫がりがないことを思えば、それは家族を超えた何かだ。この共同体のイメージは、1話で序曲が鳴らされた『ドラゴンクエスト』におけるパーティーとも結びつくであろうし、そのゲームソフトが”呪い”というテーマと親和性が高いことに気づくだろう。更に、餅つき大会の話題から飛び出した「岡山県で吉備団子作ってます」というすずめの嘘も、やはり共同体のイメージに結びつく。桃太郎、猿、犬、きじという何ら関わりのないはずの4人(匹)は”吉備団子”という実にささやかな食べ物でもって、強い繫がりを持ち、鬼(呪い)を退治するのだ。ここでは”同じ物を食べる”というのが重要であり、それは今作においても意図的に繰り返し演出されている。別荘で囲む食卓は勿論、ふらりと入った蕎麦屋においても、「カツ丼」というすずめの注文に一瞬、躊躇を見せるも巻はそれに同調する。ちなみに、”呪い”というテーマは椎名林檎のペンによる主題歌でもハッキリと歌われている。

手放してみたい この両手塞いだ知識 
どんなに軽いと感じるだろうか
言葉の鎧も呪いも一切合切 
脱いで剥いでもう一度僕らが出会えたら

やはり、このドラマは常識という鎖を外した人々が、新たな共同体を作り出す物語なのではないだろうか。



演出が金子文紀(『木更津キャッツアイ』『タイガー&ドラゴン』『逃げるは恥だが役に立つ』)にタッチした今話においても”色”の演出は健在だ。”赤”を中心に身につけるすずめに対して、”緑”が外部として襲いかかる。病院へ向かうバスのカラーリングも”緑”、つばめがかつて働いていた不動産屋の看板も”緑”、蕎麦屋の内装も”緑”である。しかし、そんな外部の象徴であったはずの”緑”のノーカラーダウンを纏った巻が、ベットボトル1本分どころではない距離をサッと横断し、すずめと気持ちを交感していく。すずめの着る“赤”のニットと巻が着る”緑”のダウンの、その重なりが、1月にも関わらず“クリスマス”を呼び込み、軽井沢の別荘にイルミネーションを灯す。それは暗闇の中の旅路に進路を示す灯台の灯りのようだ。まとわりつく呪いを剥ぎ取るかのように、演奏前に”靴下を脱ぐ”というルーティンを行っているすずめ。今話において、彼女は靴下のみならず、手袋をはぎ取り、転倒した*1別府の手を取り、キスをする。彼女の”呪い”は解けたのかもしれない。また、余談ではあるが、“血と家族”というテーマが奏でられる今話において、前田旺志郎中村優子という是枝裕和*2の映画の記憶を纏った俳優がゲスト出演するというのは、なるほどズバリである。



もう1つ、今話において語らなければならないのは、魔法少女すずめちゃんである。目隠しをしたままトランプのカードを当てる透視能力。見えないはずのものが見える力。それらは全てインチキで、彼女は嘘つき魔女として迫害され続けた。しかし、彼女自身の「見えないはずのものを見る」能力は作中において決して否定されていない。家森(高橋一生)が突然歌い出すTHE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」の一節の替え歌。あれの元の歌詞はこう。

写真には写らない
美しさがあるから

見えないはずのものが”ある”、というのは実に美しいことなのだ。

ここWi-Fi飛んでんな

というメイプル超合金カズレーザーのあの一言が、かくも我々の心を掴んだのは、そういうことである。キスの後、

Wi-Fi繋がりました

と、見えないはずのものを可視化したすずめ。更に、納骨堂のロッカーの前で、まるで亡き母がそこにいるかのように骨壺に手を振るつばめを想い出そう。そして、極めつけは、すずめにチェロを教えてくれたというおじいさんの挿話。その話題は、軽井沢へと向かう車内で語られたわけだが、スクリーンプロセス撮影の移動車内は、どこかあの黒沢清の怪作『クリーピー』(2016)

を彷彿とさせ、高速道路を走っているはずなのに歪で、”どこでもない場所”のようである。そんな場所にふさわしい話題というのがある。白い髭が生えたおじいさん、が幽霊だったとしたらどうだろう。岩瀬寛子(中村優子)の口からも確かに「おじいさんのチェロ」という言葉は語られているが、「すずめがそのおじいさんからチェロを教わっていた」とは言及されていない。彼女はずっと部屋に籠もってチェロを弾いていた、はず。そのおじいさんは「見えないはずのもの」だったのではないだろうか。そうすると、真冬に流れる稲川淳二の怪談にも意味が込められているということだ。そして、すずめが不動産会社を退社する際に、唯一持ち帰ったコップに「チェロを抱えた白い髭が生えたおじいさん」がプリントされていたことも忘れ難い。彼女は確かに、”見えないものが見える”魔法少女であったのだ。



ここが最高点なんじゃ、と訝しがった素晴らしき2話を軽々と越えてくる3話。ランジェリー貸して、ボーダーいつ着るか問題、ウルトラソウルパンツ、あだ名が淀君、ハローグッバイな子ね、上唇と下唇を離して天気予報(松たか子のドヤ顔、最高!!!)、猫になる満島ひかり(最初からずっと猫だけど)、と小ネタも充実。高橋源一郎安藤サクラ(声)の出演もうれしい。ちなみに満島ひかり安藤サクラは『愛のむきだし』コンビでもありますが、そもそも事務所が一緒で、坂元裕二は2人にラジオドラマを書き下ろしてもいる。さてさて、今回の坂元裕二の好調は本物だぞ!最高傑作の誕生を期待しております。

*1:彼らはこのドラマで何度”転ぶ”のだろう

*2:坂元裕二是枝裕和は親交が篤い