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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

大島弓子『秋日子かく語りき』『ロングロングケーキ』

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あなたは大島弓子を読んでいるだろうか。その眩いばかりの傑作群は、漫画作品のみならず現行のあらゆるジャンルのポップカルチャーに根強く影響を与え続けており、今なお必修のテキストなのである。*1いや、そういう言い方は違うかもしれない。大島作品を読むというのは、大袈裟に言うのであれば、”魂の救済”のようなものだ。とりわけ”枠からはみ出してしまう人々”への眼差し。大島作品の登場人物は、常識から外れた場所で大きな声を上げることで、どんどん壊れていく。文字通りに精神をきたしてしまう者もいる。しかし、それでも懸命に強い想いを持ち続ける事で、ある瞬間、世界そのものが変容し、彼らの”おかしさ”がスルっと肯定されてしまう。”おかしさ”が治るのではない。おかしい者がおかしいままに許されるのだ。それがどんなに優しい物語であるか、想像がつくだろうか。大島弓子の作品は、大小様々な”生き辛さ” (話題のマツコ・デラックスのインタビューでも登場したワードだ)を抱えた、現代を生きる全ての人々の魂をギューっと抱きしめる事だろう。


しかし、いざその巨大な山脈に挑もうにも「どこから手をつけていいのやら」と途方に暮れてしまうはず。「画があまりに前時代な少女漫画で・・・」と、食指が伸びきらないことも想像に難くない。そこで、「大島弓子の最初の1冊」に相応しいテキストを選出してみることにした。素直に選べば『綿の国星』(1978)になるだろう。

綿の国星 1 (白泉社文庫)

綿の国星 1 (白泉社文庫)

大人になれば人間になれる、と信じて疑わぬ子猫の愛と冒険の物語。誰もが認める代表作だ。しかし、大島作品においては珍しい長編作であるため、いささかハードルが高いかもしれない。小泉今日子主演で映画化もされた『グーグーだって猫である』(1996)
グーグーだって猫である1 (角川文庫 お 25-1)

グーグーだって猫である1 (角川文庫 お 25-1)

もまた代表作に違いないが、あちらはエッセイコミックであるから、いったん置いておくとしよう。すると、

きょうはあしたの前日だから……
だからこわくてしかたないんですわ

という伝説的導入で始まる『バナナブレッドのプディング』(1977)

バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

バナナブレッドのプディング (白泉社文庫)

が大本命だろうか。岡崎京子が『ジオラマボーイパノラマガール』(1988)で

ウチのおねいちゃんスレてるくせに
夜ねるマエに必ずバナナブレッドのプディング読むヒトだからさー

と引用してみせ、よしもとよしともが『バナナブレッド』(単行本未収録)で大胆にカバーした、なんて史実も、ポップカルチャーファンの心をくすぐるに違いなし。いやしかし、マスターピースである事になんら異論はないが、そのあまりの強度に、入門編とするには抵抗があるのも正直なところ。やはりここは、『秋日子かく語りき』(1987)と『ロングロングケーキ』(1987)、この2本を推したい。

ロングロングケーキ (白泉社文庫)

ロングロングケーキ (白泉社文庫)

奇しくもこの2本が同時に収録された白泉社文庫が刊行されている。こちらが大島弓子入門編としてあまりにふさわしいのではないでしょうか。『ジギタリス』『庭はみどり川はブルー』など他の収録作も大充実。ストリーテリングと画のタッチが最も成熟している時期。断然読みやすく、抜群に面白い。その上で、表現のコアのようなものは1ミリも緩んでいません。さぁ、本屋へ急ごう。疑り深い方の為に、物語の要点を簡単にまとめて紹介しておきます。本当はネタバレせずに読んで欲しいので、畳んでおきますね。



まずは、『秋日子かく語りき』から。交通事故に巻き込まれて死んでしまった女子高生の秋日子と中年女性の竜子。わけもわからず、あの世の入口に立っていると、神の使いが現れ、竜子にあの世行きを宣告する。一方、秋日子がここに来てしまったのは手違いで、彼女の肉体は無事ということ。現世に戻るよう、秋日子に告げる。しかし、竜子は納得がいかない。「まだ死ねない!」と泣き叫ぶ竜子を見かね、秋日子は自らの身体を貸してあげる、と提案する。天使はそれを渋々と了承し、”1週間”という期限つきで、竜子は秋日子の身体に入り、やり残した事を遂行していく。「女子高生の身体に中年女性の魂」というギャップがもたらすドタバタコメディのはじまりである。


泥棒騒動や告白騒動やらひと悶着ありながらも、残してきた家族の愛を再確認し、満たされた竜子。そして、秋日子への体の返却期限直前にパッと思いつく。

そうだやりたかったことあとひとつあった
青春の象徴フォークダンスよフォークダン

彼女はこの人生の最後の”おまけ”として、真夜中の校庭にクラスメイトを呼び出し、フォークダンスを計画する。「美しき青きドナウ」が流れ出し、竜子の魂が高揚するその瞬間に、期限が訪れ秋日子の魂が戻ってくる。そして、秋日子はこの1週間で天使のもとで見聞きしたことをクラスメイトに語り出すのだ。竜子はある国の美しい次期王女様に生まれるらしい。

人は死んだらみんな好きなものに生まれかわることができるんですって
じゃあさ ひとつのものに大勢の希望が集中したらどうなるのさ
そしたらみんなで一人の人になるのよ すてきでしょ

みんなで一人の人になる!!!今だかつてこんなにもアクロバティックでウルトラミラクルなハッピーエンドが存在しただろうか。そして、それを聞いた秋日子の親友の、希望に満ちた独白がまたいいのだ。

しかしわたしは 花や蝶になりたいというのでなければ
我々はとってもちかい今生のうちに
それぞれの夢をかなえることができるのだと固くそう思っていた

これはあくまで要点であって、とにかくあらゆる細部が凄い。ぜひその目で体感して頂きたい。




そして、もう1本の『ロングロングケーキ』である。これもまた凄い。どんな形にも姿を変えられる地球マニアの宇宙人の”宇さん”とひょんな事から遭遇してしまう主人公の青年コタ。なんと彼はその宇さんと完璧な恋に落ちてしまう。大島作品の主人公達は、相手が同姓だろうが、猫だろうが、宇宙人だろうが、そんな差異になんの意味があるのか、という態度で恋に落ちる。そして、宇宙人もまたそんなコタに向けて、100%肯定の愛を注ぐのだ。

でもどんな結果になろうと
あなたがしたいと思ってることは全てわたしのファンレターの対象です
全部ですよ コタさん

マイベスト大島弓子パンチラインだ。しかし、枠からはみ出しきった2人は、当然世間から厳しい目を向けられてしまう。そこで、大島弓子は、この世界というのは誰かが見ている夢の1つでしかない、としてしまうのである。それはつまり「今、貴方が居心地の悪いと感じている世界は、絶対的なものではないのですよ」と言い切ってしまう福音だ。

これが彼の夢だと仮定すると
コタの眠っている側の世界にはもう一人のぼくがいるはずだ
そしてそのぼくが夢をみたら
もうひとつ別な世界でぼくは生きてることになる
さらにまた
ぼくの知り合いが勝手にぼくの夢を見るとすると
そっちの世界でもぼくは生きてることになる
いったい何人のぼくが
いったいどれだけの人生を生きているのだろう

あぁ、この複雑に絡まり合ったこの世界の困難と希望が見事に表現され切っている。大島弓子を読む、というのはこういった真理を、知ってしまう事なのだなぁ。しかし、その上でコタと宇さんは、今いるこの世界を選ぶ。コタは精神病院へ。宇さんは珈琲カップや虫や鳥に姿を変え、彼の周りに在る。

君は変幻自在だしぼくがどこにいたって君とはくらせるはずだ 
なんつってもぼくはここで
君へのラブレターを書きつづけなければならないんだからさ 
おねがいしますよ どうか

そうだ この日々増えていくたくさんのファンレターの返事を書こう 
これはぼくが自分でキーをうたねばならない 
だって宇さんはまさか自分あてのラブレターまでは書かないだろうからね 
ぼくの永遠というのはこういうことなんだ

鳥や虫に話しかける精神病患者。傍から見れば、最悪のバッドエンドであるが、大島弓子は世界の法則を書き換える事で、その奇妙さをそのままに、圧倒的なハッピーエンドに変容させてしまうのであった。


どうだろうか。その1割でも大島弓子の魅力が伝わり、あなたと大島作品の出会いとなれば、これ幸いである。

*1:そもそもこのエントリーの出発点は『逃げるは恥だが役に立つ』の最終回で大島弓子を引用した際に、眼に入ってきた「知らない」という声であった