青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

伏原健之『人生フルーツ』

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カメラに収められているのは名古屋のベッドタウンに居を構える90歳と87歳の老夫婦の暮らしぶりだ。夫は多摩平団地、高根台団地、阿佐ヶ谷住宅高蔵寺ニュータウンなど、戦後日本の住処を形づくってきた建築家の津端修一。妻は『あしたも、こはるびより。』といった著作で知られる津端英子。

合わせて177歳

このフレーズは夫婦が好んで使用しているものだが、「2人で1つの生き物」というような修一と英子の離れ難い魂の結びつきを端的に表現しているように思うし、この映画の最も感動的なポイントはやはり2人の結びつきの強さだ。


津端夫婦に、ジブリ映画的ファンタジーを身体に落とし込んで生活している人、という印象を覚えた。その証左というわけではないが、この映画には常に”風”が流れている。この風通りの良さというのは、津端が建築家としてこだわり続けてきた一面であり、それはすなわち”見通しの良さ”とも言い換えられる、彼の人生哲学の骨格でもある。90という高齢でありながらも、常に春を待ちわびる津端の姿勢には胸打たれるものがある。
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雑木林に囲まれた木造平屋で、野菜や果実を育みながら豊かに暮らす177歳に、東海テレビのカメラはじっと寄り添う。庭を眺める、土を耕す、朝食に海苔を焼く、パンに自家製のジャムを塗る、ベーコンを2時間かけて燻る、野良猫の羨望を浴びる魚の干物を吊るす、40年使い続ける土鍋でシチューを煮る、苺たっぷりのケーキを焼く、障子を丁寧に張り替える、美味しい刺身を売ってくれた魚屋へイラスト付きの手紙を書くetc・・・そこに映し出される所作一つ一つは”生きること”の慈しみに溢れており、観る者の目を捉えて離さないだろう。庭から収穫される色とりどりの作物も目に楽しい。そんな2人の暮らしぶりをして、”スローライフ”という言葉で切り捨ててしまうのには簡単だが、それはあまりにも貧しい。確かに、優雅な年金暮らしに支えられた300坪の土地でキッチンガーデンというのは、現代においては一種のおとぎ話。叶えられぬ理想、みたいなもの。しかし、津端夫婦に宿る美しさは、そういった”スローライフ”的な豊かさにあるわけではない。それは、長い生涯において美学を貫き通した果てに放たれる崇高さのようなものだ。津端修一の建築家としての歩みは決して順風満帆ではなかった。代表作に挙げられる高蔵寺ニュータウンにしても、当初の「地形の記憶を留める」という津端の思想は、経済至上主義によって打ち破られる。山は削られ、谷は埋められた。しかし、津端は敗北者ではあり続けない。理想と遠く離れてしまったそのニュータウンの一角に土地を購入し、自らの実践をして、里山再生のロールモデルを提唱し続けた。更に「ドングリ作戦」と称し、ニュータウン開発によってハゲ山となってしまった高森山に樹木を植える運動を敢行。長い年月をかけて、見事に山を再生させてみせる。こういった側面をすれば、津端はスローライフを実践するただの好々爺ではあるまい。システムや体制に強い意志で逆らってみせるアナーキストなのである。津端夫婦の生きように目をこらしていると、

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ

というサミュエル・ウルマンの詩が想い起こされる。177歳の青春、それがこのフィルムには瑞々しく刻まれているものである。