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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

こうの史代『長い道』

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この『長い道』という作品は、映画『この世界の片隅に』がヒット上映中のさなか、改めて手にとるべき1冊と言えるだろう。1話3~4ページからなる「ほのぼの夫婦漫画」の体をとりながらも、こうの史代のイマジネーションが自由気ままに炸裂した作品でもある。SFからナンセンスまで、あらゆる不条理が何の前触れもなく日常に侵食する。まず、そのバリエーションと精度に感嘆してしまうわけだが、それらは次の話ではパタリとなかったことになっている。この煙にまかれるような感覚は、作品全体を貫いていて、少しでもセンチメンタルな感動が巻き起ころうなら、必ずやギャグでオチをつけて読者をはぐらかす。これはこうの史代の作劇の一流の”照れ”のようなものだが、今作における主人公”道”のミステリアスさの前においては、そこはかとない不穏さと不安を読者に抱かせる事にも成功している。


夫は妻が何を考えているのかさっぱりわからない。なんたって、赤の他人なのだから。『デート~恋とはどんなものかしら~』や『逃げるは恥だが役に立つ』といった昨今のドラマ作品における”契約結婚”のようなものが、今作の起点である。まず、”夫婦”という型にはまってみて、果てしてそこに”愛”は宿るのだろうか、という試み。前述の作品にしても、契約結婚に踏み切る人々というのは高等遊民、理系女子、プロ独身etc・・・と皆一様にどこか”変わっている”わけだけども、この『長い道』の主人公もまた、夫は女とギャンブル狂いのクズ、妻は世間とズレまくった不思議ちゃん、となかなかに曲者である。そんな2人であるから、居酒屋でたまたま出会った互いの父親が酒の勢いで子ども同士を勝手に結婚させてしまった、という無茶苦茶な物語の導入をなんやかんやで受入れてしまう。当然、2人の暮らしはとてもいびつだ。夫は働かずに他所の女にうつつを抜かしてばかり。金がなくなると(比喩ではなしに)女房を質に入れてでも、食いつなごうとする。妻はそんな夫の悪行を気にとめる様子もなく、親身になって尽くす。しかし、夫に対して盲目的な愛情を抱いているのかというとそうでもなく、「離婚しよう」と持ちかけられれば、「荘介どのがそういうならば」とことさら執着する様子もない。しかし、そんな結婚という"虚構"を戯れる2人でありながらも炊事、洗濯、買い物、バイト、就活、親戚づきあいetc・・・といった当たり前の日常は、共に丁寧にこなしていく。淡々とした日常の中で”個性”は煌めく。あなたの良い所、直したほうがいい所、もしくは”右利き”といった些細な個性、繰り返される日々の営みの中で、それらはどこまでもかわいらくし、愛おしい。だからこそ、私たちは赤の他人とこんなにも簡単に繋がっていってしまう。この愛への楽観主義が、こうの史代の筆致の何よりの魅力だ。


この『長い道』は『この世界の片隅に』の変奏と言えなくもない。すずが幼馴染である水原への想いを秘めながらも、わけもわかぬままに誰ともわからぬ男と結婚したように、道もまた、竹林という過去の恋人への想いと共に夫との暮らしを営む。『この世界の片隅に』において、すずが水原と一夜を共にし、「こうなることをずっと望んでいた」と告白しながらも、その誘いを断り、夫への愛を吐露したように、道もまた、竹林と再会しながらも、その積もり積もった想いを、夫である壮介にスライドさせていく。こうの作品において、かつての”想い”は決して否定されない。それらは輪郭をうっすらと残しながら1本の長い道となり、今この瞬間、目の前の愛する貴方に向けられるのである。


余談。こうの史代による「あとがき」がとても良くて、泣けるのだ。

あと英光、荘介どのの良いところはすべて貴方に似ています。いつか別れる日が来ても、わたしが貴方と生きた証はいつまでもここにあるのだと思います。


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