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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

三浦直之『光の光の光の愛の光の』

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2016年、新海誠による純愛ラブストーリー映画『君の名は。』が大ヒット!その一方で、批評家には「童貞の見た夢だ」なんて揶揄されております。ならば、こっちは本当の童貞(*当時)だ!という事で、ロロ三浦直之の愛が愛を叫ぶ代表作『LOVE』がこの度、キティエンターテイメントプロデュースによって3度目の再演であります。これはめでたい。私にとって『LOVE02』(2012)は本当に大切な作品で、僕の心の柔らかい場所を今でもまだ締めつけているどころか、この青春ゾンビというブログを書いていくにあたっての指針のようなものになっています。いや、もっと言えば、誰かのことを強く想ったりした時などはおのずと『LOVE02』のことを思い返すようになっているほどに、切っても切り離せない作品。



舞台上の誰もが誰か「好き好き大好き超愛してる」と闇雲に叫び倒す今作のチャイルディッシュな質感は、なるほど一見”童貞の見た夢”のような趣ではあるのだが、その実、「愛に賞味期限はあるのか?」という考察を鋭く行っている作品でもある。その為に、まず三浦は”愛”にまつわるあらゆる比喩を舞台上に可視化していく。想いが溢れれば身体中は光り出し、宙を舞ってしまう。”好き”という気持ちは銃弾となり誰かを撃ち抜き、紙飛行機として遠い場所に届く。そんなありふれた比喩表現を、演劇の力で”本当のこと”にしていく。“本当のこと”だから、比喩だろうが何だろうが、全て命懸け。舞台上の人物は”愛”を巡り、文字通り死んだり蘇ったりする。でも、そもそも人を愛するってことは命懸けであるべきでしょう?



愛の喜びが”光”として可視化される一方で、愛することに伴う苦しみもまた”呪い”という形で具現化されてしまう。”呪い”は「残り5ターン」という張り紙でもって、ハルオという男の(愛の)死を宣告する。これは、愛の熱は経年と共に醒め、消えていってしまう、という宣告である。ハルオはそんな”呪い”に対抗する為、かつての恋人である”自転車”‘(ややこしいが役名だ)と修行に励む。元カノにだけは何故だか”呪い”は有効ではないようなのだ。200年という歳月を生きている”鉄”という男がいる。彼は、”八月”という女の子に恋に落ちている。そしてかつては彼女の母にも、祖母にも、恋に落ちてきた。その恋の力で200年という途方もない時間を生きてしまっている。彼は言う。

”好き”という気持ちは消えなくて、1秒1秒生まれ続けていくだけなのだ

と。かつて君のおばぁちゃんに向けられた”好き”も、君のお母さんに向けられた”好き”もずーっと消えずに僕の中に残り続けていて、それらがパンパンに膨らんで、今現在、大好きな君に向けられているんだよ、と。という事は、だ。この世界に無駄な恋なんて1つもない事になる。叶わなかった恋にすら意味はある。一度でも誰かに向けて生まれた気持ちは消えないし、古びないし、何度だって転生して、また別の誰かに辿り着くのだ。エンディングにおけるあの胸掻き毟られる美しい光のシークエンスが、”自転車を漕ぐ”という運動によってな実現されたことを思い出したい。言うまでもなく、この自転車とは「自転車(望月綾乃)=”過去”」である。彼女が「なみだ なみだ なみだ なみだ」と流したその涙の水滴、その形はどこか電球に似ていて、報われなかった彼女の気持ちもまたいつか光へと変わっていく、ということを提示している。



さて、まとめよう。『光の光の光の愛の光の』という作品は、「愛に賞味期限はあるのか?」という命題に対して、涙を浮かべながら、「No!」と応えてみせたわけだ。たとえ2人の恋が終わったとしてても、この世界に出現した”好き”という気持ちは消えずに今も光り続ける。貴方の”かつて”は必ずや”これから”に繋がっていくのだ。そんな三浦直之の筆致は、今までこの世に存在した全てのラブストリーへの肯定と感謝のようである。



ここからは余談。脚本にほぼ変更はなく、演出も三浦直之が手掛けているので、それなりの再現性は確保されていたわけですが、それでもあまりに私が『LOVE02』という作品を愛していたのがまずかった。その残像が脳内にクッキリと残っていて(なんたって京都公演まで観に行ったんだ)、どうしても比較をせざるえず、違和感はぬぐいきれなかった。ポップカルチャーが乱雑にパッチワークされた情報過多なあの独特の三浦節を体現するのは本当に難しい。若手役者陣のフレッシュさは認めつつも、「ロロの公演と遜色なかった」なんて感想はもう絶対リップサービスだ。それができるのが大人といやつなのかもしれないのだけど。”鉄”がおじいさんの扮装をしているのはどうしても解せなかったなー。亀島一徳が若者の姿でピョンピョンと飛び跳ねながら演じるあの200歳の鉄こそが、演劇の自由さであり、この作品のチャーミングさを担保していたと思うのだけど。いや、もちろん今作が初見の方には何ら関係ない話なのだけども、でも、『LOVE』という作品の魅力はまだまだこんなものじゃない!!と、余計なお世話とは承知で伝えたい。だってもう本当にこの作品が好きなのだから。なので、まずは「再演希望!!」という主張を口が酸っぱくなるで訴えなくてはなるまい。



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