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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

スティーブン・スピルバーグ『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』

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ダファー兄弟(『ストレンジャー・シングス』)やジョン・ワッツ(『COP CAR コップ・カー』)といった新鋭らから熱いオマージュ&リスペクトを注がれているアンブリン・エンターテイメントのスピルバーグが、その矢印を一身に引き受けるかのようなウォーミーでレトロクラシックな手触りのジュブナイルを献上した。音楽のジョン・ウィリアムズは当然として、脚本には『E.T.』のメリッサ・マシスン*1を起用されており、なんというか「本家登場!」の感が強いではありませんか。


『マチルダは小さな大天才』『チョコレート工場の秘密』『父さんギツネバンザイ』などティム・バートンウェス・アンダーソンによる映画化でもお馴染の傑作児童文学作家ロアルド・ダ―ルの『オ・ヤサシ巨人 BFG』が原作。ダ―ルと言えば、ここ日本では宮崎駿が強い愛を表明している事で著名でありまして、この『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』には、ダ―ルを通してスピルバーグ宮崎駿が混ざり合うような質感が漂っている。”大きなもの”と少女、という構図からしてもう宮崎駿を想起せずにはいられないのだが、巨人BFGがロンドンの街から巨人の国まで疾走する際の風をまとうかのような痛快なアクション、”共に”食事をする事へのこだわり(悪い巨人討伐前にのんびりと朝食を食べるシーンはその意味で最高だ)など、今作におけるジブリ性は枚挙に暇がない。グチョヌチョの粘液まみれの”おばけきゅうり”に10歳かそこからのヒロインソフィーをブチ込み、すっかり汚れてしまった彼女を滝の水で洗い、火で乾かす、というその一連の動作をたっぷりとした尺で撮ってしまうフェティッシュさは、宮崎駿からの(間違えた)影響にすら思える。とりわけ感動的なのは、ソフィーが赤いジャケットを巡る演出ではないだろうか。何やら曰くがあるらしいその服の色に少し悲しそうな顔をしたBFGを見て、ソフィーは何も言わずにその赤いジャケットを裏返して着て、そしてそれをとても大切に扱う(慈しむように折り畳む)。この言葉を介さない温かなコミュニケーションこそが、何よりも宮崎駿的であるし(例えば、『崖の上のポニョ』でリサが作る袋ラーメンにハムと卵が乗っていた時のような)、スピルバーグ的だ。


2016年において我々は既に『ブリッジ・オブ・スパイ』というスピルバーグの傑作を目にしているわけで、*2物語としては”子どもだまし”とまでは言わないが、いささか物足りなさを覚えるのも事実だろう。しかし、それでもこの映画があまりに我々の涙腺を刺激するのは何故か。BFGは心の内なる声を聞き、哀しい人々(それはソフィーのように親のいない子ども達かもしれない)に、夜な夜な素敵な”夢”を配達する。”夢”は森に集まる輝く”光”を集め、それらを自由に配合する事で作り上げられる。そうしてできた夢は夜の暗がりに映し出されるわけだが、これはもう”映画”そのものではないか!ラスト、ソフィーによって言及される、どこまでも見渡せる”窓枠”というのも、やはりそれはスクリーンのメタファーのように思える。この何気ないジュブナイルである『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』には、スピルバーグが映画を作り続ける理由のようなものが刻まれており、その志のようなものに触れ、私達は涙を流すわけである。



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*1:ハリソン・フォードの元妻。残念ながら2015年に死去

*2:ちなみにBFGを演じるのは『ブリッジ・オブ・スパイ』で各賞を総なめにしたマーク・ライランスだ