青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

山田尚子『聲の形』

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モチーフとして頻出する”波紋”を想わせる震動を魅せる音響設計、豊かな色彩感覚に支えられた美術背景、障害やイジメなどが描かれるややどんよりとしたストーリーを和らげるかのように散りばめられる山田印の”かわいい”の欠片、人物の何気ない仕草ひとつひとつにエモーションが宿す瑞々しく的確な演出。全てのはドラマは”橋の上”で巻き起こる、という疑いようのない映画的感性も文句なしだろう。”落下”(度胸試し、ジェットコースター、花火、投身自殺etc・・・)というこれまた実に映画的な運動で、「より正しい人間でありたい」ともがく若者のドラマを推進させていく、まぎれもないアニメーション青春活劇である。ノートを拾う為に橋の上から飛び降りる西宮硝子の、その一片の躊躇も感じさせない投身に涙しよう。



しかし、『映画けいおん!』『たまこラブストーリー』という傑作を残した山田尚子の最新作として、「最高!!」とは言い切れないものがあって歯がゆいところ。夢中で物語の展開を追ってしまった事は否定しないのだけども、どうしても好みではない。障害者との接し方といったものを書きたいのではなく、「どうしようもない人と人とのわかりあえなさ」という普遍的なテーマを内包しているのだ、というのは理解できる。言葉にできない想いを、手や脚の仕草で演出してきた山田尚子が、手話が最大のキ―となる本作の指揮を任されたのも適任としか言いようがないのだけども、やっぱりしっくりこない。
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こちらの記事でまとめさせて頂いた『たまこまーけっと』放映時のインタビューにおける

みんな絶対に孤独な時間があって、孤独な思いをしてて。もうどうしようもないぐらいの時もあると思うんですけどね。それを見せたがる主人公であってほしくなくて。作品としてネガティブな部分がないと成立しないというわけでじゃないと思うし、それがあっての幸せを見せていきたいと思うんです。

人のつらい部分とか悲しい場面ってわざわざ見せなくてもいいんじゃないかっていう思いがどうしてもあって。悲しい思いや嫌なことは誰にでもあると思いますけど、わざわざそこに同調していくよりも、それを超えられる手段のほうが作品を作っていく上で大事なのではと。

といった言葉を残し、「世界を肯定したいんです」と言い切っていた山田尚子像を勝手に追い求めてしまっているのかもしれない。勿論、本作が世界を否定しているとは言わないし、むしろ甘すぎるほどに全てのキャラクターが罪を許されている。川井みき、みたいな胸くそ悪いキャラクターを山田作品で観たくないんじゃ!という単なるわがままです。



しかし、誤解しないで頂きたいのは『聲の形』が批判されるべき作劇に陥っているとは一切思ってないです。日本テレの24時間テレビとかもそうですけど、感動ポルノだなんだとギャーギャーわめき散らす人は、何かしらの負荷をかけられた状況でなければ、他人の痛みを想像することも、「負けないで、もう少し」といったようなありきたりのメッセージさえも理解できない、と思われてしまっている我々を恥じるのが先だろう、と思います。



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