青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

『ポケモンGO』の夢のような楽しさについて

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ポケモンGO』が夢のように楽しい。これは夏休みの間だけ続く誰かの見た夢なのでは。それくらい儚くないとおかしいくらいに楽しい。先行配信された各国で空前のブームというニュースを聞いた時は、さして関心を抱いていなかった。そもそも世代的にど真ん中ながら『ポケットモンスター赤・緑』をプレイしてこなかった私である(とは言えアニメ放送やイマクニ?のおかげで150匹くらいまでは知っている)。面白いのはわかっているのだけど、自分が凝り性と自覚しているので、極力時間を食い潰すであろう面倒くさそうなものは避けて通ってきたのだけど、やはりミーハーでもあるので堪え切れずダウンロードしてしまいました。すぐにアンインストールすればいい、と思っていたものの、前述の通りこれがアホみたいに面白い。街を歩く人が一様にしてスマホを睨んでいる様が怖い、といった揶揄はまぁ発展性がない意見なので置いておこう。



私は、バーチャル空間が現実に侵食して、何故だか世知辛い現実に柔らかみが生じているように思った。この空前のブームによって、それまで交わらなかったような者同士に会話が生まれている。細分化されたクラスターを超えて。情報交換が重要になるゲームなので、『ポケモンGO』プレイヤー同士は話かけていいというような空気がどことなく流れている。これはポケモンGOナンパが横行する予感だ。私も先日さっそく「お兄ちゃん、ポケモン捕まえてるのー?」とローラースケートを履いた幼稚園児くらいの男の子に道すがら話かけられました。まさに「大人も子供も、おねーさんも。」(Ⓒ糸井重里 『MOTEHER2』キャッチコピー)である。恥ずかしさをグッとこらえて、「そうだよ~」と笑顔で返した。無愛想な私が!お肉屋さんで買い物をしていても、「うちの(店)の近くにもいるのかい?いるんですか、そうですか」と、ポケットモンスターのポの字も知らないような老夫婦がとても嬉しそうにしていた。みんながみんな指を弾いてはしゃいでいる。あんがい桃源郷なんてのはここのことがなってちょっと思った(Ⓒスチャダラパー)。



マップとの連動やポケモン捕獲の際の運動性などあらゆる面がエポックメイキングなのですが、ことさら私が気にいっているのが、「ポケフトップ」というシステム。その近くに実際に訪れると、アイテムやポイントがもらえるわけなのだけど、そのスポットに多く選出されているのが、このゲームがなければ、決して日の目を浴びる事のなかった変わったお店や神社、記念碑、そして謎のオブジェ達だ。こんな場所にこんなものが!という地域の再発見、更には民俗学的な楽しさがある。こうなってくると、待たれるのは『水木しげるの妖怪GO』のリリースだろう。




<途中経過報告>
近所ではろくなポケモンに出会えないので、「ガーディー(比較的レア)の巣があって入れ食い」との情報を聞きつけ、真夜中に光が丘公園まで足を運んでしまった(平日に)。いるわいるわ、真夜中の公園にガ―ディーも人も。ちょっとした異空間な光景にワクワクして、身体が冷え切るまでポケモンゲットに興じる。公園を出る頃にはさすがに「私は何をやっているのだ」という後悔に襲われたものの、大量捕獲したガ―ディーを進化させて誕生したウィンディにすっかり愛着が湧いてしまい、「星野原」と名付けてかわいがっています。
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ジムではまだ闘っていません。怖いので。星野源が傷つくところなんて見たくないからね。どんどんレベルアップさせてエッセイとか書かせるぞ!