青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

白石和彌『日本で一番悪い奴ら』

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素晴らしい。ススキノ青春狂騒曲、とでも呼びたくなるような古き良き日本映画のヴァイブスを発している。汚職、裏金、ヤクザ、チャカ、ドラッグ、セックス(所謂シャブマンだ!)etc・・・と題材はどこまでもインモラルでありながら、「友情・努力・勝利(そして敗北)」の三原則が貫かれたポジティブなエルネギ―に満ちた青春活劇に仕上がっているのだ。そんな二律背反とも言える奇妙なバランスを成立させてしまった主演・綾野剛の素晴らしさよ。岩井俊二の『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016)での好演も忘れ難いが、また別のベクトルで突き抜けている。主観の心情が語られないイレモノのような男を演じる際、綾野剛は既にトップランカーの俳優である。女性を描く事への興味のなさ(キャスティングも一切“旬”ではない)は、前述の三原則を適用した『週刊少年ジャンプ』のバトル漫画のようでもあるし、北野映画のようでもある。対して、脇を固める男性陣は実に魅力的だ。中村獅童みのすけナイロン100℃)らのいぶし銀な演技が光る。デニスやTKOなどのお笑い芸人らの演技は悪くはないのだが、さすがに彼らは記号性が強すぎるので、多用するのは賛同しかねる所である。その点で、往年の北野映画における「たけし軍団」というのは希少な存在であった。



話が逸れてしまった。白石和彌の映画である。『凶悪』(2013)

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と同様にして、史実である事が疑わしくなるほどに物語として面白い。「組織とは?」「正義とは?」というようなテーマを内包した作品にもなりえるが、白石和彌はそこにはフォーカスしていない。人と人が出会い、別れていく。その際に発される美しさと哀しさをカメラに収める事に固執している。つまり、人生賛歌である。そして、生きるという事を、”吸う(飲む)”と”吐く”という運動で描き切っている。


“吸う(飲む)”と“吐く”に関しての考察

喫茶店でスト―ローでもって「ズズっ」とジュースを吸うシーンが何度か挿入されていたはずだ。諸星(綾野剛)は酒が飲めない下戸であるから、宴においてもジュースを吸うのだ。諸星が初めてシャブの現物を確保する際を思い出しても、その発見は乾きを潤す為に水を飲む事(そして吐きだす事)によって為された。後に兄弟分となる黒岩(中村獅童)との出会いの場においても、諸星はどう考えても怪しい謎の薬を飲み込み、当然のようにそれを吐き出す。諸星が女性と行為に及ぶ際に、まず必ず行うのはその身体への執拗な”吸いつき”。他にも、ささやかな仲間内のパーティーで吸いつかれるカニの身、シャブ中毒者特有の口内の乾きを潤す為のペットボトルの持ちあるき、なども実に印象的な”吸う(飲む)”である。”吐く”において、とりわけ強調されているのは、悪の象徴のように吐き出される唾や痰だろう。初めてのシャブ注入時における、諸星の口からダラダラと吐き出される涎も忘れ難い。そして、諸星が悪の道へと突き進む事を映像的に伝えるアイテムとして使用された煙草もまた実に印象的に、吸って、吐かれる。吸って、吐いて、吸って、吐いて。その呼吸でもって、1人の男の業と捻じれた正義に満ちた人生を映画として描き切る*1。その人生は否定も肯定もされない。ただ、そこにあった純粋なるエネルギーが称賛されている。




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*1:彼の人生はまだ終わってはいないのだが