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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』-小沢健二的に文学的-

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小沢健二がライブツアー『魔法的 Gターr ベasス Dラms キーeyズ』にて披露した新曲群、あの鮮烈な輝きが今なお胸に熱くこびりついている。
hiko1985.hatenablog.com
あれらの楽曲が持つ圧倒的な”正しさ”はまるでスピルバーグ映画のようだし、やはり児童文学、とりわけドイツ文学なのだ。父である小澤俊夫がドイツ文学者である事も大いに起因しているのだろうか。小沢健二のラヴソングの元ネタのほとんどはドイツ文学の巨匠ゲーテの『若きウェルテルの悩み』

若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

若きウェルテルの悩み (岩波文庫)

であるとすら思えるし、更にその創作の根源を覗いてみれば、そこにはミヒャエル・エンデエーリッヒ・ケストナーがいる。魔法的ライブ以降、すっかり影響を受けてしまった私は、モリモリと岩波少年文庫などを読み漁っているのだけども、そのどれもが「物語とはかくあるべきだ」とビリビリ訴えかけてくるかのように素晴らしい。感銘を受けた幾冊の本の中で、まずはケストナーの『点子ちゃんとアントン』を紹介したい。



ケストナーは『飛ぶ教室』『ふたりのロッテ』といった大傑作で著名な作家だが、この『点子ちゃんとアントン』という素朴な作品も決して見逃してはならない輝きに満ちている。まずもって点子ちゃんのキャラクターが、他にないほどに最高なのです。物語に登場するやいなや、いきなり壁に向かってマッチ売りの練習をしている。ケストナーの語りによれば、”超”がつくほどのお金持ちの家の娘さんのはずなのに。少し変わった子なのだ。家はお金持ちだけども両親は仕事や社交に忙しく、ちっともかまってくれないので、もっぱら相棒のダックスフントのピーフケが遊び相手だ。『赤ずきんちゃん』ごっこがしたくて、オオカミ役をそのピーフケにやらせてみたりするのだけど、当然のように上手くはいかない。すると点子ちゃんは

そんな演技、犬でも喰わないわよ

なんて怒ってみたりする。最高にアイロニー。「八かける三は?」と聞かれたら「百二十わる五」と答える。「安全なのりものは安全ですものね」なんていい回しもクールじゃないですか。そう、点子ちゃんは、とびきりのユーモアに満ちたまったくもって素敵な女の子なのだ。そんな点子ちゃんのささやかな冒険が、世の中の”よくないこと”を暴き出し、退治していく。正しい方向に物事が進んでいく活劇というのは、なんて胸を打つものだろうか。そして、この本はこんな風に締められている。

これで、このお話はおしまいだ。この終わり方はまさにこうあるべきだし、またしあわせでもある。みんな、おちつくところにおちついた。ぼくたちとしては、未来を信じて、登場人物のひとりひとりを、運命にまかせることができるというものだ。<中略>ところで、みんなはこのことから、じっさいの人生でも、この本とおなじように、ものごとはいつも、こうあるべきというふうに運びこうあるべきだというふうに終わると思ったかもしれないね!そうでなければならないし、わきまえのある人びとは、そうなるように努力している。でも、いまはそうはなっていない。まだ、そうはなっていないのだ。<後略>

このケストナーの意思が、ナチス政権下のドイツで繰り出されたものであるという史実に、また胸がグッと熱くなる。物凄く遠回りで、でもとびきりに有効な方法で、ケストナーは世界と闘ったのだ。現代の我々も負けてなるものか、という気持ちになる。



さて、ここまで読んでみて、説教臭い寓話なのかしら、と思われた方もいるかもしれない。いやいや、ケストナーの筆致というのはそれだけではない。その証明の為に、最後に私がここ最近読んだ文章の中で最も「美しい!!!」と感嘆したセンテンスを、少し長くなるが引用したい。興味深いのは、これがエンデの『モモ』であれば批判されるべき光景についての文章である点だろう。どうか貴方の心も同じように震えてくれますように。

ヴァイデンダム橋は、知っているかな?ヴァイデンダム橋が、夜になると暗い空の下、まわりのネオンサインにぼーっと浮かびあがることは?喜歌劇場と提督宮殿の正面は、かっかと照らされたポスターのショウケースや、色とりどりのネオンの文字でかざりたてられている。シュプレー川の向こう岸の建物の壁では、数え切れないほどの電球が、ぱっぱとついたり消えたりして、おなじみの洗濯せっけんを宣伝している。ばかでかいなべがあらわれて、ゆげがもうもうと立ちこめ、まっ白なシャツがゆかいな幽霊のように、ゆらゆらと上がってくる。そういう色あざやかなまんがみたいな絵が、つぎつぎと浮きあがるのだ。シフバウアーダムの町並みのかなたには、大劇場の破風がさんぜんとかがやいている。


バスが、あとからあとから、橋をわたっていく。そのうしろには、フリードリヒ通り駅がそびえている。高架鉄道が、町を見おろしながらつっきり、車両の窓がきらめく。客車は、きらきら光るへびのように、夜の闇をぬっていく。空は、下界が投げかけるおびただしい光の照り返しで、ときおりバラ色に染まる。


ベルリンはすばらしい。とりわけ、この橋の上はすばらしい。それも、夜がいちばんすばらしい!車は、フリードリヒ通りを、押しあいへしあいしながら走っていく。ヘッドライトがまぶしい中、舗道には人があふれて、どんどん流れていく。汽車は汽笛をひびかせ、バスはけたたましく走り去り、車はクラクションを鳴らし、人々はおしゃべりをし、笑いさんざめく。ねえみんな、これこそ生きてるってことなんだよ!