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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

吉田恵輔『ヒメアノ~ル』

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前半の「ラブコメ」から後半の「サイコスリラー」へ、同一映画内での大胆なジャンル横断。画面のトーンすらガラリと変わっていくわけで、観客を置いてけぼりにしかねない実にリスキーな手法である。成功例としては、ギョーム・ブラックが『やさしい人』(2014)で展開してみせたロマンティックコメディからフィルムノワールへのスムースな切り替えが記憶に新しいが、本作もまた映画のコードチェンジを見事にやり遂げている。スーっと伸びた奥行きある画面構成が基調となっており、それがラブコメにおいてもサイコスリラーにおいても崩れないのが勝因だろうか。充実したショットの連なりで物語られ、ランタイムは99分という見事な数値を叩きだしている。監督の前作『銀の匙 Silver Spoon』(2014)にはまったく好感を寄せなかった身としても、この『ヒメアノ~ル』を傑作と呼んでしまう事にはなんら躊躇がない。驚かされたのは、99分という短い時間の中で、数ある被害者の中に1人であるサラリーマンの「何やら本格的なバイクでの自転車通勤」という細部にたっぷり尺を費やす吉田恵輔の手腕だ。その自転車は物語に一切寄与しないわけだが、圧倒的なリアリティと豊かさを作品に添えている。殺人は”異常”などではなく、日常の裏側もしくはその延長に潜んでいる、という作品の主題にも呼応していると言えるだろう。通常、映画において殺戮の理由が語られると、その運動の透明性を失われ、魅力を欠いていくものなのだが、この主題がある故に、サイコキラーのトラウマがいくら描かれようとも、逆説的に恐怖が増していく。



そして、キャスティングの勝利。ムロツヨシはやり過ぎなような気がしないでもありませんが、巻き込まれ型の主人公をやらせれば右に出る者なしの濱田岳がまずいい。ヒロイン佐津川愛美の少し野暮ったいかわいさ(小悪魔さ)も絶妙。『金閣寺』『鉈切り丸』といった舞台作品での才能の発露は耳に入ってくるも、テレビや映画にはなかなかその姿を見せる事がなかったV6の森田剛の期待を裏切らない好演が最大のトピックだろう。殺戮シーンもさることながら、狂気を宿しながらの日常の所作が素晴らしい。歩き方、タバコの吸い方、カレーの食い方etc・・・ロケーションの選択、野村卓史の音楽(主題歌なし!)、衣装(どれもあか抜けない)といった各要素も全て高水準。



さて、ここからは完全に映画を観終えた人向け。清掃員のバイトをしている岡田(濱田岳)が”窓”の汚れを拭き取るカットから映画が始まる。となると、この映画において”窓”は重要な意味を持つと考えるのが定石だろう。森田(森田剛)はカフェ店員の阿部(佐津川愛美)につきまとっている。彼女が働く店に訪れ、じっと彼女を見つめている。その際、森田はテラス席に座り、”窓”越しに彼女を見つめている。これは単に「テラス席ならタバコが吸える」というような理由からであろうか。映画が「ラブコメ」から「サイコスリラー」に切り替わるタイミング(あの見事なタイトルクレジット挿入の瞬間)を思い出してみても、それは岡田と阿部の情事が行われている部屋の”窓”を森田がじっと見つめる瞬間であったはずだ。森田は阿部に好意のようなものを抱きながらも、何かの障害越しにしか彼女を見つめることがでない。まるで同じ世界に居るを許されないかのように。この切なさ。事実、森田と阿部が同じショットに収まるのは映画においてほんの一瞬である。更に、物語にギアチェンジをしかけてくるであろう拳銃の介入もまた、部屋で眠る森田を”窓“越しのノックで起こす警官(鈴木卓爾)の登場によって為される。この映画の最大のアクションと言える2階からの転落も、”窓”を突き破ってのものだ。そして、あのいささかセンチメンタル過ぎるエンディングショットの風景はどうだろう。車転倒の契機となった”犬”(森田に残されていた人間性)に目が向いてしまうのは仕方のない事だが、重要なのはあの部屋の”窓”が全て開け放たれ、空間が庭に広がっている点にあるのではないだろうか。窓が閉じられ、あの風景が奪われた時、人は狂気を宿してしまうのかもしれない。



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