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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

是枝裕和『海よりもまだ深く』

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あまりに卓越した脚本術に舌を巻いてしまう。「こんなはずじゃなかった」という悲痛な人生の断片をかき集めながらも、爽やかな風を画面に送り込む事に成功している。登場人物はみな一様に”諦め”ながら、前へ進んでいくわけだが、中でも強い印象を残しているのが池松壮亮が演じる町田という人物だろう。彼の呆れ返りながらも、決して突き放さない、あの笑い声が、この作品をよりおおらかで強いものしている。役者で言うのであれば美しくもくたびれた真木よう子も好演。そして、良質な台湾映画の記憶をくすぐられるような顔つきの息子・吉澤太陽も素晴らしい。



歩いても 歩いても』(2008)の姉妹的作品という事だが、そのような限定的な見方を用いずとも、家と血を巡るドラマとして『奇跡』(2011)、『そして父になる』(2013)、『海街Diary』(2015)という近年の是枝フィルモグラフィーに見事に連なっている。とりわけ、画面には決して登場する事のない亡き父の存在が、登場人物達の行動を面白いように縛りつけている様は、『海街Diary』での演出との親和性を覚えずにはいられない。父の悪癖をそっくり受け継いでしまった良多(阿部寛)は、比べられる事を拒絶しながらも、意図せずして生前の父の痕跡をなぞってしまう。夫にそっくりなダメな息子を、母(樹木希林)は、かわいくて仕方ないらしい。しっかり者の娘(小林聡美)よりも、明らかに。母は和菓子よりケーキ派なのだろうか。物語を通して、良多はダメな自分を受け入れていく(=諦めていく)わけだが、それをそのまま言葉でやってしまっては文学なわけで、映画である今作においては、それは「父のシャツに袖を通す」という所作によって為される。映画序盤においても「半袖を着てきてよかったよ」と服装への言及が為されているわけだが、あの”カレーうどん”の豊かな挿話もまた、この服装の演出に回収されていく。シャツを着替えさせる←シャツに汚れをつける←カレーうどん、という風に脚本は作られている事だろう。これぞ、映画なのである。



更に、この作品が映画である根拠として、最も強い論証が、”溶かす”というイメージの点在だろう。前述のカレーうどんは、タッパーに冷凍保存したものを”解凍”したものだ。また、母から振舞われるのは、インスタントコーヒーに、カルピスを凍られたアイス。どちらも”溶かす”様子が印象的にカメラに収められている。良多が映画内において最初に口にするのは、駅の立ち食い蕎麦屋での「春菊天玉そば」であり、画面には映らなかったが、汁に玉子を溶かしながら啜ったに違いあるまい。餃子を食べる際は、醤油の入った受皿にラー油を溶かすか、柚子胡椒を溶かすか、という他愛ない挿話に妙な尺を費やしている。また、劇中の台詞によれば、横山家はそのままうまくいけば、中目黒に家を買えるような収入を持ち合わせていたらしい。しかし、現状は団地暮らし。つまり、財産を”溶かして”しまったわけだ。父の硯(すずり)の挿話に関してはもはや言うまでもないだろう。これらの”溶かす”という運動が、夢や希望を”諦める”、と同時にわだかまりや不和を”溶解”していく、主人公達の物語と同調していくのである。



こういった演出や、”台風”というわかりやすいメタファーが、(相米慎二の名前を出すまでもなく)この作品を、映画として強く印象づけるわけだが、それでもやはり色濃いのは往年のホームコメディドラマの質感である。突然クラシック音楽を聞き出した母に男の影を嗅ぎ取る、といった展開はもろに『岸辺のアルバム』(1977)

岸辺のアルバム DVD-BOX

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であって、山田太一だ!鴨下信一だ!となるわけだが、それらは大声を上げずとも、『Real Sound』によるインタビューにて、監督本人の口から語られていたので、そちらを参照されたし。
realsound.jp
タコのすべり台、少年野球、興信所、モスバーガー、宝くじ、競輪、古本市、フィギュアスケート、人生ゲームetc・・・今作に散りばめられた、どこまでも豊かなエピソードの断片達を、映画的な手さばき以上に愛おしく思おう。是枝裕和という映画とテレビのあまりに良質なサラブレッドが、現代映画のトップランカーである事を幸福に思おう。




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