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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

近藤聡乃『A子さんの恋人』1~2巻

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近藤聡乃の初の長編漫画。2巻に突入して「ムムム」と唸るほどに面白く、食い入るようにして読んだ。主人公はニューヨーク帰り、29歳の漫画家A子(エイコ)。その他の主な登場人物は、エイコの美大時代の友人であるK子(ケイコ)、U子(ユウコ)、I子(アイコ)。そして、エイコの学生時代からの恋人A太郎とニューヨークでの恋人A君、という風に、なにやら全員が記号的で匿名的。実際、「A子さんの恋人」とネットで検索してみると、「羽生結弦の彼女A子さん」とか「森進一の新恋人A子さん」とか「狩野英孝の第3の彼女A子さん」みたいな記事がたくさんヒットする。なるほど、登場人物の名称を記号的に置き換える事で代替可能な一般庶民の恋愛を炙り出そうという試みか、などとひとりごちる。作者自身も「恋愛のあるあるネタを書きたい」といった旨の事をインタビュー*1で発言している。しかし、この漫画で描かれているのが「あるあるネタ」なのかは判断に困る。匿名性を帯びた名前の登場人物たちは、始めの内は「あーこういう人いる」という既視感に満ちているのだが、エピソードが進むにつれ、そういった印象を塗り潰していくほどに実に固有で魅力的なのだ。そもそも登場人物のほとんどが手に職を持ち、会社務めではないし、それなりに裕福。その時点で共感を覚える読者層というのは一握りだろう。むしろA子の「美人でもないし地味だし性格悪いはずのあたしが何だか知らないけどとにかくモテますわぁ」というノリはやかましいわ、の領域ですし、「疑わしそうに僕を見る目がいい」とか「なぜ僕が君を 好きかというと、君は僕のことそんなに好きじゃないから」というA太郎のモテ男思考も一部の人間にしか理解できないものではなかろうか。



では、この作品の魅力は何だろうと考えた時、勿論まず浮かぶのは線やコマ割りなどの洗練された視覚効果なのだけども、何かもっとこう作品論めいた事を言おうとするのであれば、それは「途切れそうで途切れないものを執拗に描いている」点にあるように思う。ニューヨークへの留学を機に、A子は学生時代からの恋人であるA太郎との別れ(縁切り)を決意する。しかし、空港での別れ際、A太郎は自分の来ているコートをエイコに手渡す。そのたった1枚のコートが、途切れるはずだった2人の関係性をギリギリに繋ぎ止めてしまう。であるから3年後、A子が帰国した際も、A太郎は当たり前のように彼女の前に居座っている。更にA子はニューヨークで交際していたA君とも

「いつ帰ってくる?」
「い、1年くらいしたら?」

といった薄手のコートくらいペラペラな曖昧な約束で、その関係性をズルズルと引き延ばす事となる。
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この優柔不断な二股状態がもたらす”途切れそうで途切れない”という感覚が作品全体に貫かれており、脚本に細部を振動させる。2巻に収録されているエピソードはどれも本当に面白い。学生時代の交友関係、出目金、生チョコ、マリンちゃんetc・・・あらゆる事象が途切れていかないが故に、行き場を無くした糸がグルグルに絡み合っていく。その様を、時系列をシャッフルしながらコミカルな筆致で描き切った「バレンタイン顛末記」は今作を代表する傑作と言えるだろう。挿入を果たしたままのプロポーズ、というアクロバティックな”途切れなさ”にも感嘆させられた。そして、最もグッときてしまうのは巻末収録の「巡り合う女たち」である。気が合わないにも関わらず、街を歩いているとどうしてか不意に出会ってしまうA子とI子とK子。互いに「じゃあ、ここで」というタイミングを逸して、全員が不本意でありながらもズルズルと女子会が決行され、引き延ばされていく。買い物、お茶会と、途切れる事なく最後には花見まで決行してみたら、

それがそう悪いものでもなかった、いやむしろ、楽しかったのだ

という独白に導かれる。決断をズルズルと引き延ばしていく、という一見ネガティブな行動に潜む何とも言えない”心地よさ”みたいなものを見事に掬い上げている。結論は先延ばしするほどに楽しい。それはこの作品が持ち合わせる快楽性の秘密だ。大人数での居酒屋やファミレスなどの集まりで、「じゃあ、ここで」と1人先に帰れずズルズルと最後まで残ってしまうような貴方や貴方にこそオススメしたい作品でございます。



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*1:1巻刊行時に行われたナタリーのもの。高野文子るきさん』の恋愛要素濃縮版に挑戦しようとして失敗した、といったエピソードも披露されていてなかなか面白いです