青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

岡村靖幸『幸福』

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岡村靖幸が11年ぶりのオリジナルアルバム『幸福』をリリース。9曲入りで3300円か、といささか購入を躊躇ったわけですが、いやはやこれは素晴らしい。抗いがたきポップネスに満ちている。オープニングを務める新曲「できるだけ純情でいたい」の、とろけるようなブラックミュージック。ここにシティポップというトレンドではなく、あえてAORをかけあわせる成熟にウットリしてしまう。そして、何と言っても「愛はおしゃれじゃない」「ラブメッセージ」「ビバナミダ」といったあまりに瑞々しいポップチューンの数々に打ちのめされてしまう(ここ数年の岡村靖幸の活動の詳細を追っていなかった故に、これらのシングル曲の存在すら把握していなかったのです)。
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とりわけ「ラブメッセージ」の素晴らしさときたら。複雑なメロディ構成をパッションでポップに響かせる。全盛期と変わらぬ、と言うよりも、現代にマッチするようにアップデートされたヴィヴィッとさだ。齢50にして岡村ちゃんのこの開け方。その他、全編にわたりバキバキなベースプレイが躍動していながらも、非常に密室感が強い濃密な音世界。変わらずのベッドルームファンク。ベッドの中で岡村ちゃんが妄想するのは、やはり”ラブ セックス キス”と、このアルバムにおいて歌われているのも、「たった1人の人に愛される自分」だとか「最高の彼氏としての自分」だとかもしくは「完璧なセックス」だとか、おそらく年を重ねてもななお、岡村ちゃんが上手にこなせない事について(胸が一杯になりませんか?)。あからさまなティーンエイジャー描写はなりを潜めているが、これまでのディスコグラフィーから不変だ。とすると、会田誠によるアートワークに描かれた幸福な家族の風景(会田誠らしいいくつかの餌がまかれているが、それには釣られまい)との距離に違和感を抱く。しかし、冷静に考えてみると、岡村靖幸という人は、常に”青春”を歌いながら、結婚や家族に対する異常なまでのオブセッションを隠そうとしてこなかったではないか。

靖幸

靖幸

家庭教師

家庭教師

あのフランスとかノルウェーとかニューヨークとかさ いちゃいちゃしてさ
そんで子供を作って育てようね ねぇ解ってんの?


岡村靖幸「Punch↗︎」

ねぇ 僕達は子供の育てられるような立派な大人になれんのかなぁ?


岡村靖幸「Boys」

など枚挙に暇はないのだけど、極めつけは「老人ばっかじゃ/バスケットもロックも選手がいなくなって/オリンピックにゃ出られない」と少子化による高齢化社会を憂う「祈りの季節」だろう。

性生活は満足そうだが
日本は子沢山の家族の減少による高齢化社会なの?
あの、あの、あの戦後の頃より大金持ちなんでしょ?
なんでみんな子供産まない
眠れない夜は神様が君にメッセージしてる


岡村靖幸「祈りの季節」

「性生活は満足そうだが」という日本語をメロディーに違和感なく乗せる事のできる才能にまず感服なわけですが、それよりも驚いてしまうのは、岡村靖幸の歌世界におけるその純情ぶりだろう。変態性の強いセクシャルな楽曲のイメージが強いが、岡村靖幸にとってのSEXとは「子供を作る行為」とはっきりとイコールで結ばれている。いや、勿論全うに正しくはあるのだけども、何と純潔でいて高潔。彼にとっての「最高の恋(=SEX)をすること」のその先には、”親”としての自分がいる。となってくると、これまでのキャリアの重要楽曲において多用されてきたあのキッズコーラスもまた違った響きを放ち出す。まったく、岡村靖幸ほどに性に潔癖な男はなかなかいないのではないか。それが表現者としての岡村靖幸の崇高さの秘密だ。崇高さを維持する為に、SEXの代償行為としてのドラッグだったのでは、なんて妄想にも発展していくわけですが、それはあまりに脱線なので慎もう。とにかく、岡村靖幸の音楽というのは、”青春”と”家庭”という両端に位置するものを結びつけるダンスであって、それが11年ぶりの本作においても健在であるという事に震えてしまうわけだ。最高の青春が、完璧な幸福を作る。そんな事を考えながら、キャリア屈指の青春ポップチューン「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」を聞いていたら、岡村ちゃんの「ブラスバァンド!!」というシャウトに導かれて流れる吹奏楽部の演奏が、過ぎ去った青春時代からのエールのようで、思わず少し涙ぐんでしまったのだった。

誰もがもう諦めて苦く微笑むけれど 僕らならできるはず
革命チックなダンキンシュート


岡村靖幸「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」