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坂元裕二『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』3話

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片想いも50年経てば宝物になるのよ

と静恵(八千草薫)が冗談めいて言うわけだが、あながちこの台詞は冗談でも何でもなく、脚本家が本気で考えている事なのだろう、と考えてしまうのも、このドラマの脚本家が

人が人を好きになった瞬間って、ずーっとずーっと残っていくものだよ。それだけが生きてく勇気になる。暗い夜道を照らす懐中電灯になるんだよ

という台詞を『東京ラブストーリー』(1991)に残した坂元裕二であるからに他ならない。いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう、という今作のタイトルが示唆的であるが、(おそらく)主人公の2人は別々の道を辿る事になるのだろう。観覧車が登場したからというわけではないのですが、2000年代屈指のラブストーリー『ハチミツとクローバー

ハチミツとクローバー (10) (クイーンズコミックス―コーラス)

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における

実らなかった恋に意味はあるのかな

という問いかけを、今作も内包しているように感じている。そして、断言できるのは「泣いてしまう」というフレーズは決してネガティブな意味合いで書かれたものではない、という事だろう。音(有村架純)が練(高良健吾)に抱いた”想い”は決して消える事なく、それからの彼女の人生を支え、照らしていく。光に包まれた時、彼女は少し、泣くのだ。と、まるで最終回の感想のような調子で始めてしまったのだが、まだ3話なのだけども、今作のラブストーリーとしての有様に、すっかり胸打たれてしまっていて、何かとてつもなく大きなものを見せてくれるのではないかという期待が先走ってしまっている事を許して頂きたい。


同じバスに乗っていた2人が、同じバス亭で降りる。なんとなく離れがたい2人が、踏み込む勇気を出せないまま、逆方向に進んでいく。そして、お決まりのように振り返り、掛けた言葉が「応援してます。がんばりましょう」であった事に胸が痛くなった。と言うのも、坂元裕二は『東京ラブストーリー』において、これらにとてもよく似たシーンを描いているのである。少し紹介したい。

リカ「なんか、これじゃ、いつまでたっても帰れないね」
カンチ「そんな夜もあるよ」
リカ「うん。じゃあさ、こうしよう。せーので一緒に後ろ向くの」
カンチ「おっけー」
2人「せーの」
リカは振り向かずカンチを見つめている。
カンチ「ずっりぃーなぁ」
リカ「カンチ」
カンチ「なに」
リカ「カンチ」
カンチ「なんだよ」
リカ「カンチ」
カンチ「だから、なに」
リカ「カンチ、好き。あ、言っちゃった。悔しいな」
カンチ「ちょ、何言ってんだ」
リカ「おやすみ」
と、キスする

恥ずかしくなるほどに、「これぞ、トレンディドラマ!」である。25年前は、坂元裕二ですら、若者の恋愛をこのように書けたのである。今やすっかり、愛はおしゃれじゃない。切実なのである。(祝!岡村靖幸アルバムリリース)


練と音がその足で歩き出そうとする。すると、まるであらかじめ決められている事かのように、2人は互いに逆方向に進んでいってしまう。しかし、トラックやバスといった同じ乗り物に乗る、その時だけ、2人は同じ方向に進んでいけるのだ。そんな2人が「観覧車に乗りたい」と考えるのはごく自然な欲求であるのだけども、遊園地というのは坂元作品において特別な場所である。あの『それでも、生きてゆく』(2011)の双葉と洋貴の最後のデートの場所であるわけで、それはお別れを決意した2人にだけ許されるご褒美のようなものであるから、当然、物語が始まったばかりの音と練は観覧車に乗る事はできない。そしておそらく、グルグルと同じ場所を回り続ける乗り物である観覧車に2人が共に乗る時というのは来ないのだろう。音が「いつか・・・」と口ごもる。彼女が噛み殺したのは「いつかあの観覧車に一緒に乗れたらいいね」という祈りか。*1


チケットを購入したプラネタリウムには行けず、観覧車のチケットは購入する事もできなかったわけだが、チケットを持っていないどころか、行くつもりすらなかったジャズコンサートに思いがけず参加してしまう。あの幸福な瞬間が、3話における文句なしのハイライトシーンであろう。坂元節も冴え渡っている。何故だかできてしまう「アルプス一万尺」が不器用な2人の距離を物理的にも心理的にも縮める。そして、2人の傷ついた天使が、同じような場面で胸を痛め、同じような事に励まされていた事が交歓され、互いが離れがたい存在である事を認識していく。それでも、2人は乗り物を降りれば、別の方向に歩き出してしまうわけだが、それに抗うかのように、まるで『最高の離婚』(2013)最終話のような暴発的なキスが音からお見舞いされる。


余談だが、2人が共有する写真に写っているのは、アスファルトに咲く花だ。まるで岡本真夜「トゥモロー」やコブクロ「桜」の世界である。2話において、ZARD「負けないで」をおぞましく使用しておいて、今話ではそういった”がんばれ押しつけソング”で歌われているような事象が、時に人をどこまで救ってしまうという事を描く。坂元裕二というのは、実に捻じれていて、掴み所のない作家だ。だからこそ面白い。


音と練の会話のリズムに、はっきりと『それでも、生きてゆく』の双葉と洋貴がいて、震えてしまう。敬語での会話のラリー。
hiko1985.hatenablog.com
そして、こちらのエントリーでも書いた「アレ」といった指定代名詞と省略の多用が織りなす、会話としてのリアルさ。本当に素晴らしい。対して、小夏(森川葵)と晴太(坂口健太郎)のパートの凡庸さは辛いものがある。田舎者が原宿の美容院でカット、セレクトショップで買い物というステレオタイプな展開に加えて、またしても高額バイトである。『問題のあるレストラン』の時といい、坂元裕二の金持ちや都会人に対する極端なオブセッションは何なのだろう。4話の予告も嫌な予感に満ちていて不安だ。実の所、坂元裕二という作家は負の描写があまり得意ではないのでは、という気がしている。小日向文世高橋一生という巧者がいるので何とか観てはいられるのだけども。木穂子の手紙(メール)なども、高畑充希の巧さやフレージングのキレも相まって悪くない。しかし、観ている方としては、音と練のパートだけで感情のメーターが一杯で消化しきれない。群像劇の難しさである。絶賛と批判の間で揺れる3話の感想、終わりまーす。

*1:トークショーによると違いまして、この時、音ちゃんは「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」と思ったのだそうです