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坂元裕二『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』1話

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坂元裕二が脚本を手掛ける月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の放送が開始されました。いやはや素晴らしい!涙が雨となって降り続け、土砂崩れを引き起こす。声にならない声はサイレンとして鳴り響き、孤独な若者たちは"ここではないどこか"へ、光のほうへと疾走する。これぞ、青春ドラマである。坂元裕二のご帰還である。興奮のあまり感想がまとまらないので、いくつかのトピックに分け、とりとめなく書いてしまう事をお許し下さい。


<クリーニング屋>

杉原音(有村架純)がクリーニング屋で働いていた。『Woman』(2013)の青柳小春(満島ひかり)がいくつか掛け持っていたパートの1つもクリーニング屋、『最高の離婚』(2013)の濱崎結夏(尾野真千子)が営むのも「かめちゃんクリーニング店」だ。何故こんなにもクリーニング屋が登場するのだろう、坂元裕二にとってのクリーニング屋というのはどういう存在なのだろうか。重労働の場?人の気配の集まる場所?匂い?答えはまだわからない。ときにテレビドラマにおけるクリーニング屋、と言えばやはり思い出されるのは野島伸司『ひとつ屋根の下』ですよね。


<ファミレス>

こちらも坂元作品における『それでも、生きてゆく』(2011)、『最高の離婚』などの印象的なシーンの舞台となった場所(そして必ず窓際のシート席に座る)でありますが、今作におけるファミレスシーンも1話のハイライトと言えるのではないでしょうか。「どうしよう、想像以上かも」から始まり、これぞ坂元脚本という会話の応酬。注文するハンバーグのソースを大根おろしとトマトソースとで悩む音に、曽田練(高良健吾)が「1個ずつ頼みましょうか?」と提案する。それに対して音が

違うの頼んで分けるんだ!
いいアイデアだね

と応える。何気ないシーンのようでいて、坂元脚本のコアが描かれている。

僕ら、道は、まぁ、別々だけど、同じ目的地見てるみたいな感じじゃないですか・・それって、すっごい、嬉しくないすか?

という『それでも、生きてゆく』のラストにおけるあのフィーリングだ。その後も全てが引用したくなるような他のどんな作家にも似ていない坂元固有の輝きをまとった台詞が連発される。あぁ、こういう青春ドラマが観たかったのだ。とりわけ

ねぇ、引越屋さん、私にだってファッションのこだわりありますよ?

のくだりはもう完全に深見洋貴(瑛太)と遠山双葉(満島ひかり)のそれでありまして、感涙であります。


高良健吾

素晴らしい。瑛太とはまた違う形で"世界から零れ落ちた人"を体現している。それはつまり天使性だ。曽田練というキャラクターの"頼りない天使"と言った佇まいはどこか彼の代表作とも言える沖田修一『横道世之介』に通ずる。彼の浮世離れした雰囲気は、友達が盗んだカバンを東京から北海道まで持ち主の元に届けるなんて、そんないい人間がいるだろうか?という疑問を吹き飛ばす。MA-1ジャケット、グレイパーカー、コンバースという衣装も、まことに感覚的な話になりますが、涙腺にくるものがある。焼きそばを頬張る姿もgoodです。
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<対岸とピッチング、そして桃の缶詰>

川縁にトラックを止めて眠る練。その向こう岸にいる音。坂元作品お馴染みの"平行線"の構図。しかし、音は向こう岸から石を投げ、練の注意を引き、2人はあっという間に同じ地点に辿り着いてしまう。「石を投げる」と言えば、やはり『それでも、生きてゆく』の洋貴と双葉の最後のデートであり、音のピッチングフォームのキュートさときたら、それはやはり双葉が見せた野茂投手のモノマネを彷彿させるではありませんか。「林檎持ってる?」という問いかけから、トラックに積まれた大量の桃の缶詰が現れるという挿話の瑞々しさ。

わたしこんなに桃の缶詰持ってる人初めて見た
これだけであなたの事好きになる人いると思うよ

という台詞も素晴らしい。こういった本筋から外れたエピソードをいかに豊かに埋め尽くせるか、というのが一流の脚本家の腕の見せ所なのである。


<引越屋さん>

泥棒じゃないです 引越屋です

あんた探偵?
引越屋です

練は何度も「引越屋です」と名乗る。引越屋が運ぶのは荷物。

大事なものって荷物になんねん

という音の台詞を引用するのであれば、荷物というのは”大事なもの”なのである。では、大事なものとは?


<手紙>

坂元作品の最重要アイテム。手紙はどんな形であろうと必ず届くべき人の場所に届かねばならない。それが坂元作品のルールである。であるから、音が失くしてしまった手紙は何があろうとも音の元に戻らなくてはいけない。音にとって大事なものが荷物であるならば、それは引越屋さんが届けに現れて当然なのだ。引越屋さんのトラック、その揺れ方でダッシュボードが開き、そこには音の手紙が。勿論、ここにポストのイメージが重ねられているのは言うまでもないだろう。


<ダムの底に沈む町>

このドラマの時間軸は2009年から始まっている。当然ドラマは2011年を通過するだろう。とするのであれば、1話で音から発せられた

警報のサイレンが鳴って みんな一斉に町から逃げ出していく
誰もいなくなった後に大きな湖が1つ残る
ずっとそういうの想像してた

という台詞は呪いのようにまとわりつくのではないだろうか。公式HPに寄れば、練の出身地は東北である。

僕らの責任は想像力の中から始まる

という村上春樹の言葉とcero『MY LOST CITY』 の事を想わずにはいられないだろう。
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<孤児>

Orphans。「人は誰しも孤独である」というのはお決まりのフレーズのようだが、どうにもそれは真実であり、表現としてその事を突き詰めていくと、孤児は物語の主役として抜擢されがちである。坂元作品においてもそれは例外ではなく、親のいない子ども達、ひいては孤独な魂を持つ人達の為の物語。全ての表現は孤児の為に。


<シングルマザー>

坂元作品において頻出する「シングルマザー」というイメージは(勿論例外はあれど)満島ひかりが一身に背負っていると言っていい。『それでも、生きてゆく』における、双葉のあまりにアナーキーなシングルマザーへの変容は記憶にこびりついて離れないわけだが、そのイメージは『Woman』(2013)に受け通がれ、そして今作へと繋がる。


<別の世界では>

前述の通り今作における最大のサプライズは満島ひかりの出演(声のみ)だろう。練が音の元に届けた手紙が満島ひかりの声によって読まれる。あの命の温かさそのものみたいな声で。満島ひかりの登場で『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』という作品は一気に全ての坂元作品の続編といった趣を醸し出す。集大成という書き方でもかまわないのだけど、あえて”続編”と銘打ちたくなるロマンがここにはある。別の世界では双葉(『それでも、生きてゆく』)は音のお母さんだったかもしれないし、音は小春(『Woman』)の娘だったかもしれない。



「どうしてさみしい気持ちはあるの?」「何のために悲しいお話があるの?」これらは常に坂元作品にて交わされる問いである。その問いが、音の母からの手紙で答えられる。

恋をするとうれしいだけじゃなくて 切なくなったりするね
きっと人がさみしいって気持ちを持っているのは
誰かと出会う為なんだと思います

いつだって悲しい私たちは、だからこそ誰かに出会うだろう。そして、新しい物語を紡いでいく。それを誰かに語り継ぎ、悲しい物語を上書きしていくのだ。それが「恋をする」という事であり、生きていくという事なのではないだろうか。