青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

J・J・エイブラムス『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』

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ネタバレする気もないし、旧三部作との関連性や本歌取りについてあれやこれや書き連ねる気はないので、「『スター・ウォーズ』の新作を観たのだ」という興奮と熱を書き記しておきたい。観たのである。1日に同じ映画を2回スクリーンで観た。個人的にはあまりない経験である。記憶を辿れば、小学生の時に観た『ドラえもん のび太ドラビアンナイト』以来ではなかろうか。そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』という作品は私が初めて”1人”で、部屋を暗くしてビデオデッキで観た映画作品でありまして・・・といった個人史は書こうと思えばいくらでも書き続ける事ができるのですが、冴えない物語がひたすら紡がれるだけになりますので控えよう。更に、”観た”というだけに留まらず、これが面白かったのだから堪らないではありませんか。

 

 

スター・ウォーズ/フォースの覚醒』におけるJ・J・エイブラムスの演出とローレンス・カスダンの脚本の素晴らしさについて。とりわけ素晴らしいのは冒頭40分だ。ハリソン・フォードが老いながらも、あまりにも正しくハン・ソロとして登場するあのシーンまで。勿論、ソロとチューバッカがミレニアム・ファルコン号を操縦し、いきなりハイパードライブで出発する姿などに胸が一杯になってしまうのは勿論なのだが、新たな登場人物であるレイ、フィン、BB-8を描いた序盤の瑞々しさはそれに勝る眩い魅力を放っている。砂漠を彷徨う若者とドロイドの画にはありとあらゆる比喩を託したくなる力がある。廃品漁りで生計を立てる少女の元に、宙から少年が降りてくる、というまるで宮崎駿天空の城ラピュタ』のジェンダーがひっくり返ったような展開。話は少し逸れますが、今回の『スター・ウォーズ』のヴィジュアルに覚える異様な心地よさは、メカニックや衣装、その他諸々が実にジブリ的であり、また鳥山明的である点に起因している。宮崎駿はさておき、鳥山明に関しては『スター・ウォーズ』の旧三部作に強い影響を受けた作家なわけで、『スター・ウォーズ』→鳥山明→『スター・ウォーズ』といったような美しい循環が妄想として膨らむ。衣装に関して。初登場時のレイのルックがあまりにナウシカで、ゴーグルを外した瞬間に思わず声が漏れそうになった。また、フィンがトルーパーという没個性な装甲服から、譲り受けた友のジャケットに着替える事で個を得る、という演出が素晴らしい。それを雪原でレイにも貸してあげるというのをさりげなく画面上で処理してしまうのもニクいではないか。

 

話を戻そう。脚本がいいのだ。悪の組織から人を助ける、商人に捕らわれたドロイドを救出する、金銭の欲望に打ち勝つ、襲われている女の子を助けようとする、泥棒をこらしめる、といった「正しい選択」の数々。正しい選択、”フォース”という力につきまとう命題のようなものを主人公の2人が見事に遂行していく事で、物語が転がっていく。この心地よさ。

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身体的接触で2人の心の距離を演出するというオーソドックさには驚かされたが、孤独な少女と少年が出会い、文字通り手を取り合って走り出す一連のアクションの素晴らしさに思わず涙腺が緩んでしまった。そして、何者でもなかった若者たちが、操縦、射撃、とそれぞれに自分の得意なものを発見し、高揚し合っていくシークエンスでもう落涙である。1人では飛び出せなかった宙に2人で飛び立つ。壮大なスペースオペラとしてではなく、あまりに完璧なボーイミーツガール活劇として、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』を楽しむのもまた一興ではないでしょうか。