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青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

ヒュー・ロフティング『ドリトル先生アフリカゆき』

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石黒正数それでも町は廻っている』の源流としても誉れ高い小原慎司の初期の傑作『菫画報』を読んでいたら、読書好きの主人公オススメの3冊として、『ドリトル先生』『名探偵カッレくん』『人間失格』が挙げられており、そのラインナップにすっかり心射抜かれてしまった。とりわけ揺さぶられたのが、「ドリトル先生」というその響き。私は読書好きの少年時代を過ごしたわけではないのだが、そんな中でも夢中になって読んだ、という記憶が色濃いのがヒュー・ロフティング『ドリトル先生アフリカゆき』とアストリッド・リンドグレーン長くつ下のピッピ

ドリトル先生アフリカゆき (岩波少年文庫 (021))

ドリトル先生アフリカゆき (岩波少年文庫 (021))

長くつ下のピッピ (岩波少年文庫 (014))

長くつ下のピッピ (岩波少年文庫 (014))

という2冊の児童書だった(ちなみに『名探偵カッレくん』もアストリッド・リンドグレーンによる作品だ)。「ドリトル先生」というその不思議な響きは、ノスタルジーに包まれたイマジネーション体験の原点なのである。おそらくそういった読者の数は今なお増え続けている事でしょう。たまらなくなってしまい読み親しんだ岩波少年文庫版の『ドリトル先生アフリカゆき』を買い直してしまった。当時は知る由もなかったが、『ドリトル先生シリーズ』全12冊(+番外編2冊)の日本語訳を担当しているのは、井伏鱒二石井桃子なのだ。この訳が絶妙なテンポとどこかとぼけた名調子があって、日本の読者にとって『ドリトル先生シリーズ』という作品をより特別なものにたらしめている。


歳を重ね、改めて再読してみても古びれる事なく抜群に面白い。動物と会話ができるお医者さんが主人公なのだが、この設定が巧い。これが、当たり前のように動物が喋るファンタジーな世界だとしたら面白味は半減してしまうだろう。ドリトル先生は、その観察眼と熱心な研究姿勢で動物語を取得し、会話を行う。この日常的反復作業による能力修得というリアリティーラインによって、その後の奇想天外な冒険の数々が「もしかしたら、ありえるかもしれない」という輝きを放ち出す。お喋りで博識なオウムのポリネシア、食いしん坊でひょうきんな豚のガブガブだとか、愚痴っぽいアヒルのダブダブ、プライド高くかまってちゃんな犬のジップ、賢く経理を任されるフクロウのトートと、その見事なキャラクター造詣は、擬人化された動物達の古典と呼んでしまいたいほどである。そして、何と言っても心躍る冒険奇談が魅力的。襲いかかるライオンや原住民、大嵐に海賊船、といった困難の数々に立ち向かうのが、(まったく、私の太ったおじさんに対する異様なオブセッションは一体何なのだろう)肥満体形の髭の紳士というのもいいではないか。しかし、この丸っとしたフォルムは重要なのだ。ドリトル先生に、そして、彼が体験する冒険のパターンに、異様な親しみを覚えてしまうのは、それらが実に藤子・F・不二雄的な発想に支えられているからに他ならない。勿論、『ドリトル先生アフリカゆき』の刊行は1922年であるから藤子・F・不二雄がロフティング的なのであり、この『ドリトル先生シリーズ』シリーズは『ドラえもん』の大長編シリーズの源流と言ってしまっていいだろう。そうなってくると、藤子・F・不二雄を起源にもつ小原慎司石黒正数という作家とロフティングの関係性も実に腑に落ちてくる。大人がノスタルジーに浸るもよし、子どもに読み与えるもよし、一家に1冊なマスト本と言えるでしょう。