yojikとWanda『フィロカリア』
yojikとWandaについて何か書き記そうとする人間が、まず躍起になって伝えたくなるのは、彼らの音楽が巷に溢れる男女デュオのゆるふわアコースティックポップとは決定的に一線を画している、という事実だと思う。まさにその通り。彼らの作品では本来”歌”にはならないようなドロリとした想いがポップミュージックとして鳴っている。そう聞くと血の匂いの強そうなシンガーソングライター(中島みゆきとか?)を想起してしまうのですが、ボーカリストyojikの歌声に備わるスタンダート感が、そういったカテゴリーにyojikとWandaの音楽を置く事を拒む。yojikさんの歌声に漂う普遍的な質の良さ。ザックリとした例え話になるのですが、それは小林聡美主演のドラマで流れていそうな上質だ。酸いも甘いも知り尽くしていそうな小林聡美にしか出せないユーモアとペーソス。何を言っているのかわからない、という方はまずリード楽曲「ワンルーム・ダンシン」をお聞き下さい。
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どうでしょう?私としては、そのまま『やっぱり猫が好き』(小林聡美、もたいまさこ、室井滋主演のシチュエーションコメディドラマ)で流れていても不思議ではないな、と思っています。ちなみに『やっぱり猫が好き』で実際に使われているのは矢野顕子とRCサクセション。間違いなく特別な響きとキャリアを持った音楽でありますが、個人的にはyojikとWandaを矢野顕子とRCサクセションの間に収めても、なんら違和感を覚えません。
「ワンルーム・ダンシン」をはじめ神がかった名曲が乱れ打ちされる3rdアルバム『フィロカリア』は、今年1番の衝撃として私を打ちのめしております。特に頭5曲のポップミュージックの濃密さには聞く度に頭がクラクラするほどの充実。このどこかで聞いた事あるようで、全く聞いた事のない新しい感じが凄い。サポートのMC.sirafu(片想い、ザ・なつやすみバンド)のスティールパンや吉田悠樹(NRQ)の二胡、服部将典(NRQ)のウッドベースなどの個性的な響きも大きいが、やはりメインコンポーザーであるWandaに、その秘密が隠されている気がする。彼がボーカルをとるアルバム2曲目「愛しのアンナ」も何としても聞いてみて欲しいナンバーだ。
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90年代あたりの良質なインディーミュージックがギュッと濃縮されたような懐かしさが、スティールパンと二胡の音色の絡みで更新されていくような感覚。何よりその止め処ない展開と溢れ出るメロディーに鋭い言語センスとそのはめ込みの妙。以前、ザ・なつやすみバンドが誇る天才メロディーメイカー中川理沙がWandaさんを指して「ライバルと思っている」と公言していたのをふと思い出します。Wandaさんも紛れもなく天才の1人である。何かと引き換えに大いなる才能を与えられたミュージシャンの佇まい、というのがぼんやりとしたイメージとしてあって、大きな身体の中に、やはり大きな空洞。そこには豊かな音楽が鳴り響き続けている。ブライアン・ウィルソンだとかダニエル・ジョンストンだとか不気味に愛くるしい天才達がそのイメージを形作っているのは間違いないわけですが、そこにwandaの名を連ねてみたい欲望に駆られます。偉人達に並んでおかしくない才能と不思議な佇まいが彼にはあるのです。2ndアルバム『Hey!Sa!』収録の「ぼっちゃん」という楽曲のMVを観てみよう。
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勝手な憶測ですが、何かを損なっている人のオーラがあるのだよなー。だからこそ、そのダンスに涙がこぼれそうにもなります。
眠らないまま 夢を見れる人
というラインがそのまま彼にふさわしいように思う。それでいて、この後のラインでは巧みな言葉遊びで”ぼっちゃん”という響きに自ら蔑みの意味を込めていく。イノセンスとニヒリズムが同居しているのがwandaというクリエイターの強みではないだろうか。この曲で更に凄いのが、
夢は 大きなカブになること カブになること
葉っぱを引っ張って お腹をすかせた夢のない子に
食べてもらいたいよ
というラインだ。どういう境地なんだ、と一瞬ギョッとするのだけど、これはもう”ポップミュージック”そのものについて歌っているのだ。yojikとWandaは自らの音楽が広く開かれていく事を切望している。損なった何かを埋めんと躍動する奇天烈でありながらとびきりに美しいメロディ―と言葉。全ポップフリーク必聴の2人組である。