青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

スチュアート・マードック『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』

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グラスゴーを代表するバンドBelle And Sebastian、その中心人物スチュアート・マードックが、あまりにも瑞々しい処女作を映画界に送り込んだ。あの永遠のマスターピース『Tigermilk』から20年、再びスチュアートが輝かしき"ファースト"を作り上げてしまえるなんて!驚きと感謝なのです。過ぎ去った青春時代の記憶をターンテーブルにのせ、針を落としてみれば、きっとBelle And Sebastianのような音楽が流れ出す事だろう。今作もまたただただ全うな青春映画だ。「ボーイ・ミーツ・ガール」或いは「ガール・ミーツ・ガール」、あらかじめ"はなればなれ"になる事が義務づけられた、頼りない偶然の”ミーツ”で出来上がった小さなコミュニティ。そんで、みんなして大きな何かを見つけようと、闇雲に進んでいく。それが"青春"でありまして、永遠のバイブル『ハチミツとクローバー』の言葉を借りれば、

僕がいて、君がいて、みんながいて、たった一つのものを探した、あの奇跡のような日々

なのである。今作は、冴えない恋と着飾る為の洋服、そして、ポップミュージックとぎこちないダンス、たったそれだけの要素でその”青春”というものを描き切っている。実にくすぐったくて、ノスタルジックだ。スチュアートの描く青春は、ある時期のゴダールのようにキッチュで、同時に岡崎京子の描く90年代のように切実でもある。女は女である!ゴダール岡崎京子ミッシングリンクベルセバなのかもしれない。


世間の評判に目を向けてみると、これがなかなかに賛否の分かれる作品のようである。批判の大半は、主人公のイヴを「悪女だ」とか「クソビッチ」だと罵る類のものなのだけど、そういう事じゃないんだよなー、と言いたい。今作は『モテキ』でもないし、『(500)日のサマー』でもなく(イヴもサマーもThe Smithsのファンだけど)、ましてや『奥田民生になりたいボーイ 出会う男すべて狂わせるガール』でも決してない。今挙げた作品と同様に自意識とポップミュージックとにまつわる話ではあるが、『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』はむしろポップミュージックそのものについての作品だ。優れた1枚のレコードが、どのようにして出来上がるか、を描いている。主人公達は今作の中で一体何度ベッドルーム(もしくはバスルーム)に横たわっただろうか。僕達は、その日1日の躍動(ダンス!)、もしくは挫折、そういった事をベッドルームで想い返す。そういった我々の無数の”ヴォイス”を、多分”神様”のようなものが、無造作に編み込んで出来上がるポリフォニーがポップソングなのだ、だから、遠い国の、肌の色も違う女の子の歌が、まるで自分の事を歌っているかのように想える。
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しかし、劇中の楽曲の素晴らしさときたら(言い忘れていたけど、今作はちょっとしたミュージカルでもある)!ここだけの話、最近のベルセバよりずっといいぞ。主演のエミリー・ブラウニングの歌声もテクニカルかつエモーショナルで実に素晴らしい。足も良いです。特に膝が。後10歳若かったら、この映画に出てくるファッションを真似したい!という気持ちで溢れかえっていた事だろう。そういう強度のある映画というのは貴重であります。スチュアート・マードックに映画を撮らせた、制作のバリー・メンデルという人物がM・ナイト・シャマランウェス・アンダーソン(!!)の諸作を手がけるプロデューサーである点も見逃せないだろう。更に、彼はあのドリュー・バリモアに、『ローラー・ガールズ・ダイアリー』(2009)という大傑作を撮らせた張本人である。ようは才能に鼻の効く人物なのだ。ドリュー・バリモアの新作の話というのも、その後、耳にしないわけで、もしかしたらスチュアートも今作限りなのかもしれないが、たとえそうだとしても、バリー・メンデルが世に放った『ローラー・ガールズ・ダイアリー』『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』という2本のガールズムービーの輝きは永遠である。マストチェック!