青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

岡田恵和『ど根性ガエル』2話

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2話も素ん晴らしい! “食べること“が頻繁に画面に姿を現すが、その行為のイメージの連鎖、広がりが実に見事だ。まず、”食べること”を軸にドラマが展開している点に注目したい。


根性を出す、と宣言したのにも関わらず、結局変わらずぐうたらのひろし(松山ケンイチ)は、母(薬師丸ひろ子)の怒りを買い、朝飯抜きの罰を受ける事となる→腹の減ったひろしは母校の中学を訪ね、給食のおねだりに成功する。しかし、給食の主食のパンは、永遠のライバルであるゴリライモ(新井浩文)の会社が提供する”ゴリラパン”である。ひろしはみんなの手前、強がり、パンを食べずにポケットにしまう→とは言え、腹の減ったひろしは、人目を忍んで、パンを口にするも、すぐさま、配達にやってきたゴリライモに見つかってしまい、再びパンをポケットにしまう。ここからひろしはゴリライモの乗っていた販売カーを奪い取り、津々浦々しながら福島県へと辿り着く。何故か?腹が減っているヒロシは美味しいお米を求めていたからだ。


”食べる”という行為をただ転がしながら、ひろしを”福島”という土地に辿り着かせてしまう。ドラマ上はひろしの死んだ父の生まれ故郷であるが、言うまでもなく、”福島”とは東日本大震災の悲劇のシンボルの地である。たくさんの死が生々しく転がっている場所。このドラマ『ど根性ガエル』はルックとしては底抜けに明るいコメディ作品でありながら、濃厚に”死”の匂いを物語に纏わせている。ひろしの父、京子(前田敦子)の両親、そして、尽きかけんとしているピョン吉の寿命。そして、ひろしを追いかけて、福島までやってきたピョン吉と京子の夜の会話を抜粋したい。

ピョン吉:あのさ、京子ちゃん。…死んだらどうなっちゃうんだい?
京子:えっ、どうしたの?急に。
ピョン吉:えっ、いや…さっき 京子ちゃんがひろしが死ぬんじゃないかなんて言うから。それにほら、周りは真っ暗だし。何か考えちまったんだよ。ひろしの父ちゃんも死んじゃってるしさ。京子ちゃんも、父ちゃんと母ちゃん死んじゃっただろ?みんな死んでどうなっちまったんだ?おいら、よく分かんねぇんだ。
京子:私も分かんない。でも…。
ピョン吉:でも?
京子:もう誰にも死んでほしくない。

ひろしが福島という土地に辿り着く事で、”食べること”の物語が、”生きること”に転じる。根性の出し所、つまり、”生き方”を見失っていたひろし。そんな彼が”食べること”に立ち返り、”生きること”を見つめ直す、それがこの2話だ。食事シーンがどれもいい。母ちゃんに放り込まれるパンをパクパクと目を輝かせて食べるピョン吉のかわいさ。ひろし逃亡中、ゴリライモの会社に母ちゃんや梅さん(光石研)や五郎(勝地涼)が、集まってワイワイとお寿司を食べるシーンもいい。騒動のさ中にも関わらず、彼らは口ぐちに「楽しい」とこぼす。あれが”生きること”なのだ。米とパンを同時に食らう事で、米づくりがパンづくりとイコールで結びつき、ひろしがゴリライモの元で働く決意をする流れも鮮やか。何と言いますか、キャラクター達がそこに”居る”だけで涙が出てきそうになるのは何故だろう。母ちゃんもゴリライモも梅さんも五郎も本当に優しい。木皿作品よろしく所在なさを感じる人々に「いてよしっ!」と言ってくれるようだ。このフィクションのキャラクターには私達の“寄る辺なさ”が託されているような気がするからだ。


余談。薬師丸ひろ子白石加代子に「たまに遊びに来ていいですか?」というシーンが完全に『Q10』での「たまに充電しに来ていいですか?」のオマージュだ。薬師丸ひろ子パートリーダーなのは『泣くな、はらちゃん』である。河野プロデュース作品が混ざり合っていく。2話では、『ドラえもん』に続けて、『男はつらいよ』が下敷きとして見受けられる。国民的作品をどんどん呑み込んでいく。ヒロシは寅さんと同じく生まれも育ちも葛飾柴又。物を売りさばきながらのロードムービー調がたまりませんでした。松山ケンイチ渥美清トリビュートな口上もかなりポンイトが高い。満島ひかり前田敦子の掛け合いもまさに夢の共演という感じです。車に乗ってシートベルトをする時、ピョン吉が苦しくないようズラしてあげる。なんでもないようなシーンだけど、ああいう事をどれだけ書いて、撮れるか、がドラマの良さを左右していくのですなぁ。しかし、この出来栄えで視聴率2ケタ切ってしまうなんて、信じがたい。もっと観られてしかるべきです。