青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

北村薫と藤子・F・不二雄がみせる日常の"スキップ"

スキップ (新潮文庫)

スキップ (新潮文庫)

17歳の女子高生が、目覚めると42歳になっている。25年という歳月を”スキップ”してしまった1人の女性の物語だ。このSF的不条理が私達に示すのは、「流れていく時は取り戻せない」という、現実に横たわる残酷な真実に他ならない。おそらく本書を手にした全ての読者が「自分がこういった状況に置かれたらどうなるだろう?」という自問を行うであろう。しかし、私達に比べ、本書の主人公”一ノ瀬真理子”は何と気丈で聡明な事か。なんと彼女は17歳の心のまま、25年後の彼女の職業である高校教師を見事にやり遂げてしまう。共感を抱くのは難しい。しかし、物事に触れる時、共感というのはそんなに大事な事ではない。今、持ちうる感性と”それ”の間にある距離、それを知識と呼びたい。今作から学べるのは、「困難に立ち向かう態度」ではないだろうか。主人公のたとえ、どんな状況に置かれようとも、軽やかなステップで立ち向かうその足取りは実に感動的で、”スキップ”というタイトルにダブルミーニングが込められている事にも気づかされる。


高校教師という設定から、中盤以降は青春偶像劇が展開されていく。部活、バレー大会、文化祭etc・・・それらを眩しく謳歌する生徒達の描写は、改めて”生の一回性”というものを主人公(そして読者)に突き付けると同時に、その懸命さは、”今”を刻みつけるステップの重要性を教えてくれる。

昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、私には今がある。今をしっかり生きてこうと思っている。


今作は藤子・F・不二雄先生が3人の娘に贈った最後のプレゼントとしても有名だ。藤子作品と『スキップ』を繋ぐのはSF(すこし不思議)だけでない。藤子F作品では、未来からロボットがやってきても、オバケと同居しても、超人になっても、常に舞台は学校、空き地、家。彼らを悩ませるのは、友人の暴力や自慢話、親や先生の説教に、やりたくない勉強やスポーツなのだ。どんな状況に置かれようと、藤子F作品のキャラクター達は彼らの日常を全うしていく。ドラえもんのび太の未来の運命を変えにやってきたが、大きな改革を彼にもたらさない。ほんの少しのスパイスで、ひたすら日常を反復させ続けるのだ。その”今”を生きる事が、未来に繋がり、過去を作る。これがF先生の根底に流れる想いだったのではないだろうか。


さて、『スキップ』ですが、学生時分以来の再読でした。かなりバタ臭くも感じる所も多くありましたが、時の流れに耐えうる名作と呼んで相応しい。書きたい事が溢れていて、ひたすら寄り道を繰り返す感じが妙に愛おしく、またそういった細部の書き込みが実にキラリと光る一作だ。北村薫と言えば、石黒正数『それでも町は廻っていく』と米澤穂信氷菓』を経た今、無性に日常ミステリーの原点と言える『円紫さん』シリーズを読み進めたい気分なのだ。

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)