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『IZU YOUNG FES ‘15』ヤング解散によせて

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5/23に開催された『IZU YOUNG FES ‘15』をもって、ヤングが解散してしまった。バンドがDIYで主催している『IZU YOUNG FES』は今年度も掛け値なしの素晴らしさを誇るイベントでした。富士山を見上げる野原のロケーション、「ラーメンろたす」を始めとする美味しいご飯、そしてそこに流れる音楽の芳醇さ。ayU tokiO流れる時間を慈しむようなたおやかな演奏や、フジロッ久(仮)の戦友に向ける花束のような幸福感溢れるパファーマンス(「シュプレヒコール」の前に披露された小沢健二の「ぼくらが旅に出る理由」!!)、日暮れの風景に溶け込むようなmetoba trafficの音色、ヤングが解散ライブで見せてくれた瞬間と永遠・・・どれもが忘れ難いスペシャルなシーン、まさに有終の美である。しかし、やはりさびしいではないか。ヤングがたった1枚だけ残した『ニューパーク』というアルバムはおおいに過小評価された名盤だ。

ニューパーク

ニューパーク

衒いのないシンプルなアレンジと録音のギターポップは、彼らと同世代のインディーバンドが、ソウルやヒップホップに接近したり、よりオルタナティブな方向に舵をとったりしている中で、どうも物足りなく感じたのは正直なところ。しかし、8曲27分という短い時間の中にシンプルながら強度のある言葉やメロディーがギュッと詰まっている。

このままダンスを続けよう 「ももいろダンス」
どうでもいいとか言わないで 好きか嫌いで答えないで 「やってみようよ」
1人でいいことを2人でしたのだ 「レストラン」
ハッピーはだいたいダダなんだよ 「Day to Day」

フロントマン高梨てつの書く簡素な言葉の中には、ハッとした気づきがたくさん隠れている。生活を慈しむ態度を刻みながら、複雑にこんがらがった状況に柔らかくアゲインストする。彼らの楽曲のタイトルを借りるのであれば、まさに"やさしいパンクス"である。特に「パーク」という楽曲が大好きで、特別な場所に想いを馳せる時に鳴っている音楽はきっとこういうものなのだろうな、なんて想ってみたりする。シングル『サマータウンとアドベンチャー』に収録されている、MC.sirafuの演奏をフィーチャーしたインスト版「パーク」も必聴だ。『ニューパーク』でのヤングの演奏もまた素晴らしい。タイトなリズム隊、クリーンかつドリーミーなギターワークは乍東十四雄時代からの格段な進化を感じた。ヤングは本当に素晴らしいプレイをするバンドだった。
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実は、乍東十四雄との出会いは、結構古い。所謂インディーシーンにグッとのめり込むよりずっと前、mixiという前時代的SNSが主流であった2008年。音楽好きのマイミクさん*1に「きっとヒコさんはこのバンドを好きだと思いますよ」とメッセージでオススメしてもらったのがきっかけだ。何だかむず痒くなるようなエピソードである。当時、私が夢中だったのはくるりナンバーガール銀杏BOYZサニーデイ・サービススパルタ・ローカルズといったバンドで、それはまさに乍東十四雄の音楽のジャンク性の主成分であり、当然のように私は夢中になった。これまたむず痒くなる話ですが、mixiの日記タイトルを楽曲名や歌詞にしていた時期がありまして、乍東十四雄の楽曲名(確か「犬の名前はジョンにしよう」だったはず)をタイトルにした日記を公開したら、メンバーの方から「いい日記タイトルですね(笑)」とコメントがあって、ドキドキしたものです。彼らの『乍東十四雄

乍東十四雄

乍東十四雄

というファーストアルバムは、私が初めて聞く同世代のバンドであり、だらしなく、まとまりにかけた、実に若者らしい勢いに溢れた音源で、その佇まいは圧倒的にリアルだった。
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「透明」「やさしいパンクス」「胸いっぱい」「無題」などの珠玉の楽曲は今聞いても色褪る事はありません。初めて彼等のライブを観たのは2010年、高円寺UFOクラブで開催された『中央線ラプソディー』というイベントだった。出演者を調べてみると、太平洋不知火楽団乍東十四雄、フジロッ久(仮)、ソンソン弁当箱、昆虫キッズ、と今眺めてみると少し胸がチクリとなるようなラインナップ。余談ですが、この日のライブ、昆虫キッズが「胸を痛い」を披露する際にゲストでシャムキャッツの夏目知幸、乍東十四雄の高梨てつがステージに上がり共演している。なんとその様子が動画に記録されていました!
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でたらめに鍵盤を叩き、がなりたてるその演奏は、それはもうかっこよくて、”若者のすべて”はここから始まる!と興奮したものでした。乍東十四雄に話を戻そう。彼等はその後、メジャー事務所からの離脱、メンバーの加入、脱退など、明らかな迷走期に突入する。そんな中でリリースされた数枚のepは、『ニューパーク』へと続く音楽性への獲得のドキュメントとしても興味深い。かえる目の「流出」のカバーなどからも窺えるが、バンドはジャンクな初期衝動から丸みを帯びた歌と演奏にシフトしていく。そして、突然のヤングへの改名。当時は「迷走も行くところまで来た!」と思ったものだが、バンドは明確に複雑にこんがらがった状況を”シンプルに”ほどきにかかっていたのだろう。"ヤング"という響きの持つ匿名性。高梨てつはインタビューでこう語っている。

できるだけ誰のものでもないし、誰のものでもある名前にしようかと。イズヤングフェスの、会場にいた誰もが「ヤング」で、その空間が「ヤング」だって思えるような名前に。

このフィーリングはバンド活動、そしてその結晶である『IZU YOUNG FES』にも徹底して流れている。地元に目指したフェスでありながらも、徹底的に主催者の自我が排され、ただただ心地よい空間と音楽がそこにはあった。誰のものでもなく、誰のものであるフェス。透明な場所。透明?そう、ラストライブでも披露された彼らのデビューチューンだ。

透明になっちゃって
君は僕で 僕は君

彼らははじめから一貫して同じ事を歌ってきたのだ。サンキュー、ヤング。心から『IZU YOUNG FES』が大好きでした。
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いつかは誰のとこにも終わりの季節が来る
だけども それでいいよ

*1:マイミクが何の事やらわからない若き諸君はお兄さんやお姉さんに聞いてみよう