青春ゾンビ

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望月ミネタロウ『ちいさこべえ』

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望月ミネタロウの最新作『ちいさこべえ』は山本周五郎の時代小説『ちいさこべ』を漫画化した意欲作だ。原作小説は、大火事で両親を失った大工の若旦那が、孤児を養うなどの人助けを行いながら、家業を復興させていくという普遍的な人情物語。

どんなに時代が変わっても人に大切なものは
人情と、意地だぜ

望月ミネタロウは、この物語の舞台を現代に置き換える事で、江戸に起きたとされる大火事とあの東日本大震災を繋ぎ合わせる。登場人物は”焼け野原”となってしまった一帯を見つめながら様々な想いを巡らせていく。この『ちいさこべえ』という作品は、「3.11」以降、もしくは安倍政権下の現代の生き方、というのをさりげなく提示してみせている。それは大きくまとめてしまえば以下の2つ。


1つ目は「美しい生活に執着する」という事。『ちいさこべえ』で実に印象的なのが、細部まで徹底して書き込まれた家具や洋服や靴や食べ物の数々だろう。ミニマルな画風の中でそういった豊かな細部が瑞々しい輝きを放っている。朝ご飯をきちんと食べる事、運動をする事、掃除をする事、料理をする事、本を読む事、お気に入りに靴を丁寧に履く事(オールデンのウィングチップコンバースなど、今作においては何よりもその足下が雄弁に語る)、よく働く事、よく遊ぶ事、よく眠る事。シンプルな生活の美しさが徹底して描かれている。異様なまでの女性の身体へのフェチズムもまた、美しさへの執着として圧倒的に正しい。私達はこういった生活を維持していかねばならないのだ。


そして、2つ目は「想像力を働かせる」という事。『東京怪童』より導入された、ダニエル・クロウズを彷彿とさせるミニマルかつ無機質な静止画のような画風は、登場人物の表情を、そしてアクションを抑制する。1コマに時間と感情がゆっくりと流れ、読み手はその隙間を想像させられることになる。意地っぱりの茂次と無愛想なりつ、そして、かわい気のない子ども達。彼らが抱える本当の想い。そういった”わかりにくさ”に想像力を働かせ、”本当のこと”を明らかにしていく。それは、「3.11」という記号でもって、あの震災を閉じ込めてしまった我々への警鐘でもある。今作の影の主人公とも言える孤児の”あっちゃん”はいつも怖い想像にとりつかれている。トイレの流れる穴から何かが出てきそうで怖い。宇宙が広くて怖い。自分とは関係のない遠くの出来事を考えると怖くて、悲しくて、いつも泣いている。そんな彼女にりつは「楽しい事をいつも想い浮かべるように」と教える。

はこのなかにはなにがあるかな?

この『ちいさこべえ』という作品は、あっちゃんがその想像力をポジティブな方向に働かせるまでの物語、とも言える。


ときに今作における”無表情”の最たる人物は、長髪にモジャモジャの髭で顔を覆い隠した茂次であろう。はて、誰かに似ている。その答えは彼が朝のランニングにおいて、身につけていたヘアバンドにて明らかになる。そう、彼のモデルは間違いなくウェス・アンダーソンの傑作『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)においてルーク・ウィルソンが演じたあの愛おしきリッチーだろう。
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つまり、これは彼がその覆われた髪と髭を剃り落すまでの物語とも言えるのだ。"本当のこと"というのはいつも奥の奥に潜んでいる。さて、確かに、この作品における細部へのこだわりは実にウェス的であり、今作で望月が試みたのは山本周五郎ウェス・アンダーソンの折衷なのかもしれない。つまり、この『ちいさこえべえ』という作品は、ウェスの全ての作品がそうであるように、あらゆる意味での"孤児"に向けたアイラブユーなのである。