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昆虫キッズ『BLUE GHOST TOUR FINAL-元気にさようなら-』

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高橋翔がサングラスをかけて登場して、1曲終わるとすぐにそれを外してしまう。ここは無力無善寺でやるようなことをクワトロのラストライブでもやってる。最高だ。かっこつけてみては、すぐに恥かしくなったり。それが昆虫キッズだ。1曲は「Alain Delon」、歌い出しはこうだ。

さよならの言葉に 手をかけ震え出す心は
忘れず あの箱に閉まって
そしたら 溢れ出す宿命

ラストライブにふさわしい始まりじゃないか。しかし、それらも”アランドロン”という映画俳優名を連呼する、意味のない響きの中に消えていってしまう。実に昆虫キッズらしいナンバーだ。個人的なハイライトは3曲目に演奏した「Blue Blue」で、とびきりにセクシーで刹那的なロックンロール。どこまでもオルタナティブ。決して演奏の上手なバンドではない。しかし、冷牟田の危なげに切り裂くギターも、強靭でソリッドに乱れていく佐久間・野本のリズム隊、そして、どこでもない場所で鳴っているような高橋の調子の外れた歌声も、歪ななものは全て歪ままで存在していいのだ、と教えてくれるようだ。どこをどうとは具体的には書けないのだけど、皮膚感覚で色々影響を受けたと思います。ありがとう、昆虫キッズ。「いつだって」「まちのひかり」「恋人たち」「シンデレラ」「27歳」「わいわいワールド」et...天井が振動するほどに爆音で、どんな演奏だったかなんてもう覚えてないけど、20代半ばに夢中になった楽曲達が1つ1つ埋葬されていった。あれ、そう言えば「太陽さん」演奏していないな。つーか「胸が痛い」も「S.O.R」も「スイートガール スイートホーム」も「ピートタウンゼント」も「アンネ」もやってない!・・・と言い出したらきりがないのでやめておこう。


解散ライブというのを生で観るのは初めてだったのだけど、こんなにも不思議な気持ちになるものか。ライブタイトルである”元気にさようなら”をなぞるかのように、決して感傷的なライブではなかった。会場の空気も暗くないし、かといってお祭り騒ぎというわけでもない。あれは本当に解散ライブだったのだろうか。あまつさえオフィシャルグッズ(カバのパーカーキュートだ)が解散後に発売開始されていたりするわけで。そのおかげか「もう昆虫キッズというバンドは存在しない」というその事実をまだ受け入れていないようだ。つくづく最後まで「一体感」とか「連帯感」みたいなものを共有させてくれないバンドである。スイートガールスイートホームオールアローン。あぁ、まったく胸が痛い。昆虫キッズを観ている時はいつだって孤独で、どんなにたくさんのお客さんに囲まれたライブでもそうで、誰かと観ていてもそうで、それはステージがクアトロという大きな会場になっても変わらなかった。昆虫キッズはそんな”一人ぼっち”を祝福してくれる唯一無二のバンドだったのだ。

なんたって「ろっくんろー あいらぶゆー うるせーボケ 太陽さん」である。ceroシャムキャッツと昆虫キッズと同世代のバンドが今なそキャリアハイを更新し続けていて、私をメロメロにしてくれているわけだけども、やっぱり昆虫キッズにしか埋められない穴というのはある。

ラストに演奏されたのは「裸足の兵隊」だった。バンドのブレイクスルー曲としての「なにか 大きなものを見に行こう」というフレーズは勿論重要なんだけども、この曲だったらやっぱり

誰にも会えないだろう その服じゃさ その髪じゃさ
ほら見ろ
太陽さんはあなたの影を作ってくれる

ではないだろうか。”太陽”という陽性なワードを用いながら、それが作り出す”影”を歌い、孤独の肯定を行ってしまう、それが僕にとっての昆虫キッズだった。生まれ故郷を破壊され、双子の兄弟とも生き別れたまま鎖で縛り続けられたアストラ(『ウルトラマンレオ』)、”醜さ”を記号として背負うカバ、太陽系の最果てにいたはずが突如太陽系を追放されてしまうPluto冥王星)、昆虫キッズがモチーフにしてきたのはそういった対象だった。昆虫キッズ高橋翔の書く歌詞はまさに”詩”といった感じで、煙を巻くと言いますか、イメージの連なりで明瞭と不明瞭を行き来する掴みどころのない美しさに満ちているのだけど、時々サラッと強いメッセージが忍びこんでいる。ラストアルバム『Blue Ghost』のハイライト「冥王星」での

展望台からずっとみてたよ

というフレーズは、昆虫キッズというバンドの活動を締めくくるにふさわしい。孤独な惑星で暮らす全てのボーイズ&ガールズに向けて。彼らはそういうバンドだったのだ。



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