青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

マット・リーヴス『猿の惑星: 新世紀』


素晴らしい!ルパート・ワイアットによる前作『猿の惑星: 創世紀』(2011)が、進化と革命を106分の上下の運動で描き切る傑作であったわけですが、監督交代もなんのその、スケールもエモーションも大幅にアップした超大作に仕上がっていました。前作では”進化”を意味していた高低差は今作では”権力関係”として周到に画面内に構築されていき、その場で行われる、”上昇””下降”‘もしくは“見上げる”見下ろす“といった運動にエモーションを宿らせる。メインヴィジュアルにも選ばれているシーザーとマルコム(ジェイソン・クラーク)がお互いへの敬意を交わすシークエンスでは頭と頭を合わせるまさに、高低差を感じさせないショットで撮られている事も感動的。


権力構造、もしくは紛争や環境問題などの現実社会を巧みにトレースした脚本の作り込みは勿論お見事の一言。SFは現実以上に現実を語るというやつだ。しかし、今作の何よりの素晴らしさは、そういったアクチャルな事象を忘れさせてしまうドラマメイクと快楽性に満ちたアクションの数々だ。劇中の対抗する3つの勢力、我々観客はその全てのキャラクターに感情移入をしてしまう作りになっている。善悪等の境界は曖昧になり、我々はただただ猿の躍動する身体性に視線を注ぎ続けるしかないのだ。同様の役割を劇中で担っているのがシーザーの息子”ブルーアイズ”であり、彼が”瞳”を意味する名前を冠しているのは示唆的だ(勿論”ブルーアイズ”は全ての始まりであるシーザーの母親の名前でもあるのだけど)。いくつかの演出もハッとする程素晴らしい。文明が朽ち果てた後のガソリンスタンドでTHE BANDの音楽が流れるメロウさ。それも”どこかただ身を横たえて休める場所を求めているだけなんだ”と歌われる「The Weight(重荷)」を、人類と猿の命運を担うシーザーとマルコムが聞くのだ。傷ついたシーザーが身体を休める場所として、『猿の惑星: 創世紀』の舞台であるウィル(ジェームズ・フランコ)の生家を選択する場面もいい。家に染みついた記憶、が見事に映像として再生されるあのシークエンス。ウィルの父の弾くあの歪なドビュッシーの音色が聞こえてくるようなメロウさがある。


マーベルスタジオ作品と共に現行のハリウッド映画の充実を証明する重要なシリーズ。その必見の2作目となりました。未見の方は1作目にあたる『猿の惑星: 創世紀』

を復習してからぜひ劇場に駆けつける事をオススメいたします。ちなみに旧シリーズ、ティム・バートン版は観ていなくても楽しめます。