青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

山崎貴/八木竜一『STAND BY ME ドラえもん』


「ドラ泣き」という深夜のテンションで思いついたとかし思えない醜悪なキャッチコピーからも容易に察しはつくわけですが、藤子・F・不二雄ファンとしては手放しには喜べない作品に仕上がっていた。藤子プロはどうなっているのだろう。そもそも、電通TOYOTAドラえもんを売り渡し、あのセンスの欠片もない実写CMを許可している時点でヤバかったわけですが。今作の「のび太青年」の声を担当しているのは件のCMで未来ののび太を演じた妻夫木聡である。そんなのってないぜ。


山崎貴ドラえもんを3D化する理由を述べているインタビューを読んだ。「より現実に近い形でドラえもんを表現する事で、子どもたちにドラえもんの物語をもっと身近に感じて欲しかった」といったような主旨だったのだけど、まじで子どもの考える力をなめんなよ、と思う。学校に遅刻しそうな子どもが「あーこんな時、どこでもドアがあったらなぁ」と思う、その気持ちを見くびるな、という事だ。漫画だろうがアニメだろうが2Dだろうが3Dだろうが、『ドラえもん』はいつだって僕たちの物語だったはずだ。想像力というものを信頼していない人間が藤子作品の再構築に手を出し始めているのは、危惧すべき事態なのではないだろうか。とは言え、最新技術での「タケコプター」飛行シーンにはそれなりに見所があり(個人的には『のび太の恐竜2006』での飛行シーンの“風”の表現の方がずっと好きです)、子ども達のイマジネーションを大いに刺激するだろう。悔しいのは、そういった映像面のクオリティを含め、本作が大ヒット間違いなしだろうという事実だ。この『STAND BY MEドラえもん』は「未来の国からはるばると」「卵の中のしずちゃん」「しずちゃんさようなら」「雪山のロマンス」「のび太結婚前夜」「さようならドラえもん」「帰ってきたドラえもん」という、誰もが認めざるをえないであろう傑作7本がマッシュアップされている。お話自体は当然いい。表現は悪いが、バカでも泣けるつくりになっている。特に「しずちゃんさようなら」は一般的にあまり有名な作品ではないので、のび太の「好き好き大好き!」という祈りに心奪われる人も多いに違いない。しかし、この国のトップクリエイターと呼ばれているような人間が、聖典と言っていい『ドラえもん』という作品の中でもとびきり叙情的な話をいくつかただ闇雲に並べて、「さぁ、ドラ泣きして下さい」と言えてしまう神経は一度疑いにかからないといけないのではないだろうか。


細かい事を言えば文句は無数にある。「未来の国からはるばると」でセワシドラえもんがやって来るのが正月の昼時でから真夜中に変更さている。「しずちゃんさようなら」でののび太の切実さにバカバカしさが損なわれている。「雪山のロマンス」で急に入る『漂流教室』的な寒い演出。「さようならドラえもん」でののび太ジャイアンの決闘が真夜中から夕方に変更されている。ドラえもん不在のまま名台詞然として放たれる「喧嘩ならドラえもん抜きでやろうぜ」も意味不明。あのささやかな晩餐や最後の夜を長く続けようとのび太ドラえもんが「眠くならない薬」を飲み別れの時間を拡張する名シーンもカット、などなど。後ですね、道具を嬉々としてバンバン出す初期のドラえもんと、「道具にばかり頼るな」という後期のドラえもんがいますよね。あれをごっちゃにして、バンバン道具出すのに「道具に頼ってもダメだ、君が何かをしなければ」と説教する悪魔みたいなドラえもんが出てきます。まぁ、これらはオタクの戯言だ。何より許し難かったのは、山崎貴と八木竜一の2人が、『ドラえもん』の始まりの物語をサラリと書き換えてしまっている点である。今作での「未来の国からはるばると」では、ドラえもんのび太の面倒を見る為に過去で暮らすのが嫌で仕方なく、セワシによって「成し遂げプログラム」という強制プログラム(未来に帰ろうとすると電流が走る)を設定されたが故に、のび太の元に留まる、という変更が行われている。これは「さようならドラえもん」にも効力を及ぼし、その「成し遂げプログラム」を達成したが故にドラえもんは未来に帰る事になる。山崎/八木は、ドラえもんが側にいる理由、帰ってしまう理由を、明確に論理的に説明してくれるわけだが、その事により作品の魅力を損ねてしまう可能性を1ミリも疑っていない。「成し遂げプログラム」の存在が物語をより一層エモーショナルに仕上げるだろう、と信じて止まないようだ。感性の違い、の一言で片づけるしかないのだろうか。何だかわからないけどずっと側にいてくれるドラえもん、唐突に理不尽なまでにわけもわからず帰ってしまうドラえもん。それが『ドラえもん』という作品の魅力、「さようならドラえもん」の魅力だと、私は思う。そういった理由の不在が、のび太ドラえもんの日常を、美しく振動させていたように思うのだ。『ドラえもん』の最終回は「さようならどらえもん」以外に2本書かれている。1つは時間旅行が禁止されたからドラえもんが未来に帰らなくてはいかなくなる「ドラえもん未来へ帰る」、もう1つはドラえもんに頼りすぎてはのび太の為にならないから未来に帰る「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」の2本。どちらもドラえもんが未来へ帰る明確な理由が記されている。

ドラえもん 1 (藤子・F・不二雄大全集)

ドラえもん 1 (藤子・F・不二雄大全集)

現在、この2本は「藤子F不二雄大全集」の『ドラえもん』1巻にどちらも収録されており容易に読む事ができる。しかし、F先生が連載作品からセレクトして編集した「てんとう虫コミック」にも「藤子不二雄ランド」にも収録されなかったのだ。理由を明確にしなくても、子ども達は納得してれくる。その想像力を信頼したF先生の作品が、傷つけられてしまったような、哀しい気持ちになって、私ドラ泣き。