青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

stillichimiya『死んだらどうなる』


stillichimiyaは冒頭の「うぇるかむ」で陽気に楽しく、我々を彼らの地元・山梨に迎えていれてくれる。と思いきや、突如、挿入される事故現場のようなクラッシュ音と故人・丹波哲郎の講演のサンプリング。

生きとし生けるものの中でいずれ死ぬんだという事を覚悟しているのは我々人間だけだ
だから我々人間だけが「死」に対する底知れぬ恐怖を抱いてきました
ではなぜそんなに怖いのか
それは知らないからです

そして、始まる2曲目は「Hell Train」で”地獄”へ、3曲「出かけよう」では”もっととんでもないところ”へ。「死んだらどうなるのか」を探る旅が始まるわけです。さて、この冒頭の流れ。何かを思い出す。

そうです。「飲酒運転による事故で死んだ主人公が天国へ辿り着くも、そこでもまた酒に溺れる。こわい神様に呆れられ、天国を追放され、生き返ってしまう」という顛末を「おらは死んじまっただ〜」とテープ早回しの人を喰った声でポップに歌うザ・フォーク・クルセイダースの「帰って来たヨッパライ」という1960年代のヒットソングを、想ってしまうのです。そこに漂うのは「死んでもなお」という無常感と、それでも怠惰に暮らす我々人間の”業”の肯定のようなもの。これがアルバム全体を貫くフィーリング。「死んだらどうなるか」の旅は、曲を進むにつれドリフやおねりやカレーや父ちゃんと母ちゃんのセックス(生の起源)や井上陽水や路地裏の猫(Big Benのピアノループトラックが緩くて最高)やSADEの性事情や野茂のトルネード投法etc...と無数に無駄道(しかし、豊かに)を辿り、果ては未来、宇宙にまで到達する。と思いきや、「土偶を掘る」という行為に下降する。つまり土着性、ひいてはstillichimiyaが掲げるローカル性にしっかりと着地している。意味ないふりをして、どてかいユーモアと不気味さを掲げながら生命を賛歌する。アルバム随一のセンチメンタルチューン「めっちぇええやん」は涙なしには聴けない。

ダチ周りは今も変わりなく割と朝までどんちゃん騒ぎ「いえ〜」
中坊の俺にも見せたいよ今を
数学が駄目でも問題ないよ


(MMM)

ところでどう?そっちの具合
オレは元気だぜ シェキナベイビー
三十路過ぎの冒険楽しいな


(Big Ben)

「生きてて良かった」と思える夜は
案外未来で思い出す今夜


(Mr.麿)

調子どう?俺も君も光れば
街も日々も踊りだす 踊りだす
Sunny Day,Rainy Day 時は流れて今が
ベスト そう言えれば そう言えれば
懐かしむのいいけど 今のお前に光ってて欲しい
過ぎ去った過去は幻 だから素晴らしい
今が新しい


(田我流)

パワフルかつ、こっそりとメロウなのだ。懐かしくも、普遍的なstillichimiyaの面々のキャラ立ちした日本語のラップのフロウは、圧倒的に聞きやすく、言葉がスッと耳に入ってくる。しかし、そこで語れている事のたいてはは意味がよくわからない。しかし、それでいてイマジネーションはビンビンに刺激してくるのだから面白い。はて、もしかしたら、これは落語か?、何にせよ、例えば「ズンドコ節」が突然メインストリームに放り込まれても、負けない強度を持っているのは確かで、「帰って来たヨッパライ」が100万枚売れた時代のパワーよ、再び!と思わずにはいられない。

「ズンドコ節」について考えると、ドリフとヒップホップの融合、スチャダラパーを想うわけだけども、stillichimiyaの今作の感触は電気グルーヴではないかという気がしている。最初は「だっちもねぇfeat. 原田喜照」のメロと歌唱の石野卓球マナーだったり、「竹の子」での「たけのこ」連呼だったりに抱いていたその感触は、『死んだらどうなる』というアルバム全体のフィーリングに感じるようになる。例えば2000年にリリースされた怪作『VOXXX』

VOXXX

VOXXX

の突き抜けっぷり。あのアルバムの1曲目が「地獄へ堕ちろ電気グルーヴ」で、今作と地獄繋がりである事実にはハッとさせられやしないか。「戦争はまだ終わってないっていうか、ないっていうか、ナイトフィーバー」なんて態度も今に通ずる。電気グルーヴは同アルバムの「レアクティオーン」で「東京の若者のすべてがここに集まっています」と叫んだわけだけども、stillichimiyaの面々は山梨から声をあげるのだ!
死んだらどうなる

死んだらどうなる