青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

橋本一『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』


ザラついたフィルムのような質感が、かつて東宝の誇ったプログラムピクチャーの記憶の残痕を掻き集める。「記憶の残痕を掻き集める」のはまさに探偵の役目であり、饒舌でありながらも一度としてその名前を呼ばれる事も発する事もない”俺”(大泉洋)はその任務を全うしていく。殺されたオカマのマサコちゃん(ガレッジセールゴリ)の辿ってきた場所を訪ね探る。かつて多くの人が住んでいた場所、として映し出される生家や団地のショットの生々しさが素晴らしい。”俺”とマサコちゃんは友人であった。いや、友人という言葉を越えた何かを2人は共有し合っていたのだろう。簡単な言葉で記してしまえば、「生きる事の切なさ」か。オカマで偽名のマサコちゃんは、マジックの大会で優勝し、テレビなどにも出演し、その存在の痕を刻もうとした矢先に殺されてしまう。街に記憶されない、という事の哀しさ。”俺”はそういった「なかったことになる」という事実に徹底的に抵抗する。亡き痕とでも、必死に交感するのだ。たとえ、どんなわりにあわない徒労を伴おうとも。つまり、今作がやろうとしている事はレイモンド・チャンドラーだ。その魂を現代に、日本に、召喚する事に成功している。

原作は未読なので、これが原作者の東直己の資質なのか、古沢良太の脚本の力なのかは定かではないが(おそらく前者なのだろう)、少なくとも渡辺あや脚本のNHKドラマ『長いお別れ』よりは数段上手く召喚してみせている。『探偵はBARにいる』は全うな探偵小説映画である。


北海道のスター大泉洋の為せる業なのか、札幌という街をふんだんに使ったアクションの数々。路面電車での乱闘、からのトラックへの飛び込みなど、胸躍らずにはいられない。フリースとパーカーの重ね着で、自ら「予備校に通う浪人生みたい」と評すルックスで、「農業大学の助教授かつ空手道場の師範大かつ探偵の助手」という高いスペックの設定を手にした高田(松田龍平)というキャラクターの良さ。松田龍平の飛び蹴り、回し蹴り。エンストを繰り返すオンボロの緑色のクラシックカーを頑なに使い続ける高田の姿もまた、今作のムードに同調しているように思う。3作目の制作も公式に決定し、見事プログラムピクチャーとしての道を進みつつある『探偵はBARにいる』、エンタメ映画としても断然優秀だ。