青春ゾンビ

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岩本ナオ『町でうわさの天狗の子』12巻完結


岩本ナオ町でうわさの天狗の子』が12巻をもって完結。胸いっぱいであります。わりとですね、11巻までの感想にこの作品への想いをぶつけてあるので、追加で何か書ける事はあるかしら、という感じでもあるのですが、この大変な傑作に出会えた喜びだけでも書き記しておきたい。
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作品の根底にじんわりと流れていた「秋姫が”怪物”になってしまうのではないか?」という不安がいよいよ現実のものとなる。秋姫が完全な狐になってしまった。それでも瞬ちゃんが

俺はお前が近くにいて名前が呼べればいい
だから、お前が狐になっても大丈夫だ

と言った。それが全てではないだろうか。秋姫の抱える”怪物”化は、彼女が人間と天狗のハーフであるからなのだけども、心の中に”怪物”を抱える不安というのは何も彼女に限った事でなく我々の誰もが(特に若かりし頃に)覚えのある感覚ではないだろうか。自分自身を「異物」と捉えてしまう、あの胸がキリキリするような痛みを「大丈夫だ」と言ってあげる肯定の物語。そして、この漫画が秀逸だったのは、設定の突飛さに関わらずおそろしく魅力的な細部によって形成される日常風景の切り取りである。物語が進むにつれ、ファンタジーの味付けが施されれば施されるほど、逆説的にその輝きは増していった。何度も回想として挟まれる教室での風景、それを取り戻す戦い。クライマックス直前で交わされる言葉は「また月曜日に」でした。サブキャラクターからモブキャラクターまで作者が一遍の曇りもない愛で描き切った効果が出ていたなー。他にも100年の約束と信頼、時間軸を超えて登場する次郎坊瞬、天狗大集結、ミドリちゃんの告白、もみじちゃんの想い、康徳様の「よっこら聖徳太子」など色々言及した部分は多々あります。それまで丁寧に丁寧に紡いでいたのに、12巻で途端に一気に駆け抜け、拾い切れていなかったのはちょっと残念。でも、あのスピード感覚が独特の高揚感を生んでいたようにも思うな。それはさておき

いつも誰かが私のこと好きになってくれたらいいのにって思ってるの
毎日 家出る時とか
学校から帰る時とか
いつも思ってる

若さを持て余し、自分自身すら愛せない私達が常に考えていた事、祈っていた事。それが6年半、12冊という時間の中で秘められ、溜めに溜められ、出し惜しみされていた「好きだぞ」で報われてしまった。うおーー!これが少女漫画の楽しみ方というやつか。岩本ナオの次回作にも今から期待なのです。