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植芝理一『ディスコミュニケーション』冥界編

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この『ディスコミュニケーション』は先日『謎の彼女X』を完結させた植芝理一のデビュー作だ。連作開始は1992年。なんと20年以上も前の作品。

ディスコミュニケーション(1) (アフタヌーンKC)

ディスコミュニケーション(1) (アフタヌーンKC)

執筆時、植芝理一は若さを持て余した現役大学生。恋愛を主軸におきながらも、サブカルチャーフェティシズムニューアカ、宗教学、民俗学、心理学・・・あらゆる興味の対象を異様なまでの筆致の書き込みで放りこんだ、エネルギー溢れる闇鍋漫画に仕上がっている。さて、この『ディスコミュニケーション』冥界編、今まで読んでこなかった事を激しく後悔する青春漫画の金字塔であった。


「冥界編」の中でも”導入編”と呼ばれている初期エピソード群の掴みの素晴らしさ。特に1~4話は完璧の一言である。

おまえの涙ってどんな味がするのかな
涙 飲ませてくんない?

涙を飲みたがる男の子と飲ませる女の子。作者はまずこの画が浮かび、「彼らがどういう関係で、何者なのか」というのを逆算で肉付けし、物語を作っていったのだそうだ。圧倒的に正しい作劇の手法。これは以前にも書いた事があるのだけど、山川直人『シアワセ行進曲』

シアワセ行進曲 (BEAM COMIX)

シアワセ行進曲 (BEAM COMIX)

という作品を例に挙げて説明したい。『シアワセ行進曲』という作品は同棲を始めるカップルがちゃぶ台を買う所から始まる。普通であれば、同棲を始める上で食事の場として必要性を感じ、ちゃぶ台を買う。「同棲を始める→ちゃぶ台を買う」だ。しかし、『シアワセ行進曲』は違う。男女が何となしに古道具を訪れ、ちゃぶ台を買った事によって2人は同棲を始める。「同棲を始める←ちゃぶ台を買う」となるわけだ。どちらの作劇法が魅力的(心に残るか、でもいい)か?となった場合、断然後者だと思うのだが、どうだろう。まず「ちゃぶ台を買う」という理由不在の運動がある。これがミソだ。こと「ボーイミーツガール」を主題とした作品とこの手法の親和性は高いように思う。例えば『天空の城ラピュタ
天空の城ラピュタ [DVD]

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にしても、きっと宮崎駿の頭の中に最初にあったのは、「空から落ちてくる女の子を受け止める男の子」という画だったはず。とにかく、この逆算の法則は『ディスコミュニケーション』という作品を支配し続ける。

どうして私は松笛くんを好きになってしまったのか
その日の放課後 松笛くんはいつものように教室の窓から外をぼんやりと眺めていた
忘れ物を取りに教室に戻った私は
外を眺める 松笛くんのうしろ姿を見て
突然松笛くんを好きになってしまったのだった
それは本当に突然だった
だからどうして私が松笛くんを好きになったのか
私自身にもわからない

「どうして私は松笛くんを好きになってしまったのだろう?」という疑問、つまり理由不在の”好き”が物語を推進させていく。主人公である松笛くんは本当に不思議な人なのだ。何を考えているかさっぱりわからない。付き合い始めたヒロイン戸川さんに対して、様々な要求を行う。
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戸川の心臓の音ききたいんだけど

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これらのわけのわからない(しかし、あまりにフェティッシュな)要求の数々を受け入れていく戸川さん。理由に支配されないそれらの行為は、どれもが独立した固有性を放っていて魅力的だ。理由がわからないから気になる、好きになる。

あのね松笛くん
私は松笛くんの謎を解くまでずーーっと松笛くんの注文を受けていくからね
どういうわけか私は松笛くんが好きになっちゃったんだからさ
松笛くんの謎を解くことは私自身の謎を解くことでもあるの
私はそう思うのよ

どんな女の子や男の子にもその謎を解かなきゃいけない男の子や女の子がひとりは必ずいると思うの
だから私が松笛くんを好きになったってことは
私が松笛くんの謎を解かなきゃいけない人間だということなのよ
私はなんとなくそう思うのよね

信じられないことに、このクオリティの台詞が第1話の段階でポンポン飛び出してくる。植芝理一には大島弓子も宿っている。「ディスコミュニケーション」の名が示唆的だが、主人公カップルの松笛と戸川の間に、性的な交渉は行われない(ただし、キスはのぞく)。しかし、戸川にはどうやら過去にそういった類の経験があるらしい。

ただね なにかちょっと違うなって思ったの
なにかもうひとつ欠けてるものがあるような気がしたのよ
そのなにかはわたしにはもちろんわからないのだけど・・・・・
でも 松笛くんを好きになった時
もしかしたらそのなにかがわかるかも知れないって思ったの・・・
松笛くんのことを好きって気持ちを感じるとね
わたしが女であるとか 高校生であるとかいうことが
だんだんどうでもよくなってきて・・・それっていったいなにかなって

性交渉を描かない以外にも、人ならざるモノ、もしくは「男の娘」といったマイノリティを多く登場させる。こういった多くのディスコミュニケーションの果ての真の意味でのコミュニケーションを描く事で、大島弓子が軽やかに超えていった”境界線”に挑む。



「逆算の法則は『ディスコミュニケーション』という作品を支配し続ける」と書いたように、『ディスコミュニケーション』冥界編の特異性は、理由のない”ボーイミーツガール”から始まるだけに終わらない。そこから2人の関係性が育まれ広がっていくのではなく、逆の方向に進んでいく事だ。”僕らは何故生まれてきたのだろう”という所まで。タイトルになっている”冥界”というのはファンタジー漫画などにおける魔界のようなものはなく、自分自身の内面の世界の事だ。「どうして人を好きになるのか?」という疑問への答えを探す為に、自分の心の中に深く潜っていくのです。その過程で、様々な自分(例えば、全うな市井の人として生き、家庭を築く松笛と戸川)に出会っていく。ほぼ心理学、哲学の世界。一筆描きのような脚本は、正直言って、くどかったり、整合性がなかったりして、読みにくい。しかし、それ補って余りあるパッションに満ちており、エンターテイメント作品としての強度は全く揺らいでいない。冥界を降り進む中で、様々な敵(と言っても自分自身)が、戸川の「どうして人を好きになるのか?」という問いそのものを潰そうとしてくる。

あなたが誰かをどんなに愛していても
死ねば それはたとえどんなものでも消えてなくなるの
「死」は「運命」とおきかえてもいいわ
あの子が言ってる「どうして松笛くんを好きになったのか」という謎も
永久に解けるはずないわ
それは 運命でそう決まっているだけだもの
そこに理由なんかないわ

「どうして人を好きになったか?」なんて疑問に果たして答えなんかあるんでしょうか?
例えばあなた・・・あなたは「どうして自分という人間が存在するか?」という疑問に答えられますか?
<中略>
たくさんの人間が存在する世界にどうしてただ一人あなたという心を持った人間が生まれて来たか、という問いへの完全な説明はできない。どうして説明できないか?それは始めから説明できないからです。わたしたちの心は 突然生まれ・・・喜び 悲しみ そして・・・死んで消えていく
わたしたちにはどうしても手の届かないものがある、というだけの話です

かくや『3×3 EYES』といった感じのバトルアクションシーンもふんだんに盛り込まれた、パラレルワールドや精神世界を行き来する壮大なストーリーの果てにも、その問いに対する”答え”ははっきりと解き明かされない。どうやら、誰にも訪れうる”死“という存在が、その答えに辿り着く事を拒んでいるらしい。しかし、作者植芝理一の想いはうっすらと明かされていように思う。

それでもわたしたちはあきられめることはできないわ
そしてわたしたちが死んでも・・・人間が生きている限りこの場所を超えるために誰かが必ずやって来る

これは、登場人物戸川の台詞であるが、作者本人もまたあとがきのこのような言葉を残している。

誰かから受け取ったバトンをまた他の誰かに渡し続けていくような作品が描ければうれしいです

「どうして人を好きになるのだろう?」という問いへの答えは確かにまだわからない。しかし、このふと感じた疑問を、ありったけの熱意で、込められるだけの情報量で、徹底的に描きつけて記録すれば、それは”物語”となり次の誰かに繋がるかもしれない。前述の「死ねば それはたとえどんなものでも消えてなくなる」という真理めいたものに徹底的に抗う、それが創作という事なのだ。植芝理一という20年前の青年の熱情が保存された『ディスコミュニケーション』名鑑編、未読の方にはぜひともオススメしたい1品です。