青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

宮藤官九郎『ごめんね青春!』5話

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カバヤキ三太郎のごめんね青春!』という誰も聞いてはいなだろうと思われているラジオ番組のコーナーを通じて、人々が繋がってしまっている。”想い”は決して直接でなはく、何かを介して告げられる、これはクドカン作品のルールのようなものである。例えば『11人もいる!

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においては、幽霊となった母(広末涼子)の”想い”は血の繋がりのない才吾(加藤清史郎)を介して家族に伝えられている。また『あまちゃん
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における、アイドル活動に挫折して引き籠ったアキ(能年玲奈)へのマネージャー水口(松田龍平)の説得も思い出して欲しい。東京からはるばる北三陸までやって来たにも関わらず、その”想い”は携帯電話の留守電を通して伝えられていた。これは、宮藤官九郎が本質的に抱く”照れ“や”ひねくれ”がもたらす作家としての資質で、その捻じれが作品に妙な豊かさとエモーションを宿すのだ。以前にも書きましたが、クドカンのこの手法の最高傑作は『木更津キャッツアイ』における、ぶっさん(岡田准一)の余命が半年と知った父(小日向文世)がモノマネ教室で覚えた和田アキ子の「あの鐘が鳴らすのはあなた」を披露するシーンではないでしょうか。父親が完全装備の和田アキ子スタイルで余命少ない息子に「あなたに会えてよかった あなたには希望の匂いがする」と歌うのだ。更に言えば、これらの手法は「”想い”というのはどんな形であれ必ず伝わる」というクドカンの信念のようなものが窺えやしないか。
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『ごめんね青春!』の5話においては、たとえスーツ(ゆるキャラの)越しであろうと、感情が伝わってしまう事を描いていた。


4話では、理由のない”好き”の美しさが描かれた。つまり、起点のない”運動”の純粋性だ。5話は、着地点のない”運動”につていである。西高に暴行された古井(矢本悠馬)。その敵を討とうと、「駅伝で西高に勝つ」と言いだすクラスメイト達。しかし、当の本人である古井はある理由からわざと停学騒ぎを起こし、駅伝に不参加となる。当然、不満を漏らすクラスメイト達。

中井(黒島結菜)「腑に落ちません」
蜂矢先生(満島ひかり)「腑に落ちないくらい我慢しなさい!青春なんだから!!」

そう、つまり青春というのは着地点のないもの。古井の不参加で、駅伝に参加する理由も結果もなくなった。しかし、その理由も結果もない独立した”走る”という運動の美しさ。「理由→行動→結果」という流れから”理由”と”結果”を取り外し、”行動”だけを描こうとしている。それはもしかたら「子ども→青春→大人」という流れから”青春”という固有の輝きを取り出す行為なのかもしれない。