青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

宮藤官九郎『ごめんね青春!』4話

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なんだか異様に懐かしい気持ちになったのは、演出が金子文紀だからか。クドカン脚本の会話が金子文紀の演出で「まさにこれしかない」というテンポではまっていく。元々この『ごめんね!青春』はクドカン脚本作、更に「宮藤官九郎×磯山昌」ワークスの中でも『木更津キャッツアイ』の系譜だよな、と思っていたのだけど、金子文紀が登板となると、いよいよ”ガールズバー”は”野球狂の詩”になるし、”いずっぱこのハートのつり革”も”赤い橋の伝説”である。


4話が素晴らしいのはそれだけにあらず。『マンハッタンラブストーリー

を彷彿とさせる恋愛相関図の乱れた矢印は、あらゆる枠組みを外していく。男子校育ちと女子校育ちという環境の違い、仏教キリスト教という信仰の違い(平助と蜂矢先生、住職とシスター)、教師と生徒といった身分(平助と生徒会長、蜂矢先生と半田)、性差(コスメと半田)、ルックスの格差(豊とビルケン、クイズとクイズ)、夫婦制度(一平とドンマイ先生)・・・境界はなくなり、何やら透明性を帯びてくる。そもそも、平助は死んだ母と当たり前のように会話していおり、生と死の境界すらあいまいだ。


枠組みに寄りかからない”好き→”という運動は唯一無二の固有のもので、純粋で美しい。

わたし、原先生と結婚するの

付き合ってもいない、好きかどうかもまだわからない平助と結婚すると宣言する蜂矢先生。”永久に結ばれる”という都市伝説を遂行してしまった2人は結婚する宿命にあるのだという。結婚する為には付き合わないといけない、だから”好き”になる。「好き→付き合う→結婚する」という一般常識的な進行とは真逆の矢印で進んでいく、蜂矢先生の”好き”には理由がない。枠組みとか理由とかそういうモノに寄りかからない、寄り道をしない。だからこそ、泣けてくるほどに真っすぐで美しいのだ。


ラストの蜂矢先生の授業がいい。

蜂矢「例えば、阿部さんは半田くんのムキムキなところが好きだとしますよね。その場合、ムキムキだから好きなの?それとも、好きだからムキムキなの?ごめん、なんか変だね。”ムキムキ”が先か、”好き”が先かで言ったら?」


阿部「”好き”が先です」


蜂矢「だよね。まず好きって気持ちが芽生えて相手のことをよく見るからムキムキに気づくわけです。」

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You must love him,
before to you he will seem worthy of your love.

“愛するに値するか考える前に愛せよ”=“好きにならなきゃ、好きな理由はわからない”

まさに純粋な愛の体験者。愛がむきだしな満島ひかりがもう本当に素晴らしい。