青春ゾンビ

ポップカルチャーととんかつ

フジロッ久(仮)『ニューユタカ』


東京を中心に活動するゴッタ煮パンクバンド、フジロッ久(仮)。2011年の1stアルバム『コワレル』リリース後の焼け野原に彼らが提示するのは「ニューユタカ(=新しい豊かさ)」だ。

ニューユタカ

ニューユタカ

最近の彼らのライブを観ていて想起するのが、吉田健一の「戦争に反対する唯一の手段は、 各自の生活を美しくして、それに執着することである。」という言葉で、彼らはパンクバンドの佇まいながら、「美しさ」について歌い、彼らなりの信念で「原発」や「憲法改正」といった現実に抵抗している。生活を取り戻そうとしているのだ。たった一つの手段を音楽に変えて。「メロディーを研ぎ澄まし、楽曲を美しく奏でる」という態度は、先の「各自の生活を美しくして、それに執着すること」という運動に同調するかのようだ。先日素晴らしいアルバムをリリースした住所不定無職にも同様の事を感じる。彼らもフジロック久(仮)もかつて小沢健二が放った

LIFE IS COMIN' BACK

というとびきりのラインを現代にリフレインさせている。こじつけだが、住所不定無職が『GOLD FUTURE BASIC, 』

GOLD FUTURE BASIC,

GOLD FUTURE BASIC,

で想定していた型の1つにピチカートファイブがあったであろうし、逆算で吉田健一に辿り着くのであーる。フジロッ久(仮)と住所不定無職の2バンドは2013年に渋谷系が辿り着いた終着点の優良なモデルケースだ。



さて、『ニューユタカ』におけるいくかつの楽曲はまるで筒美京平小沢健二といった偉大な作家達がパンクミュージックに目覚めたかのような、美しさとエッジの共存した佇まいでアルバムに居座っている。とりわけピアノロック然とした「シュプレヒコール」「うまれる」「punk lover's dream come true」の3曲の素晴らしさときたらどうだろう。

耳をすまして歩いてみれば
眠るひかりに 灯りをあてる
魔法のような響き

見えない雪が溶けだして川になり
紫陽花の蕾並んだ通りを流れていく


シュプレヒコール

生きている歓び
誰かと成し得る奇跡
今 君と見たんだ 確かに
夢見てた 夢より確かに!


「punk lover's dream come true」

奥の奥まで見透かされて
ピアノの上 はねる かえる
強い気持ち 楽しくって
髪が伸びて 生え変わる
ぶつかりあい 輪を作り
遊ぶように はねるリズム
ひろがって ちらばって


「うまれる」

オザケンラバーズであるフロントマン藤原亮の面目が躍如する見事なライン達。歓びを誰かと分かちような生活が、そして四季が、光が、命が、音楽となって鳴っている。

おお!シュプレヒコール
街に咲いて乱れる花々
命が踊る 気持ちが起こる
水を注ぐその手は誰のだろう


シュプレヒコール

収録楽曲は全てライブで聞いていたので「次に出るアルバムはさぞかしロマンチックなものが出来上がるに違いない」と期待していたのだけど、いざリリースされたものを聞いてみると、今までのフジロッ久(仮)の延長線上の音でそれは鳴っていた。「もっと繊細なボーカリゼーションで」とか「管弦を入れて欲しいなー」とか最初は色々思ったわけですが、「いや、これは等身大でいいぞ」という考えに至ったのは、楽器を持たないメンバー高橋元希のアジテーションの愚直なまでの熱量の素晴らしさに他なりません。「シュプレヒコール」において彼が、好きな人々の名前を呼び上げるパートのなんと感動的な事か。後、

君が好きだ!
資本とか広告とか信仰より

とかね、たまりませんね。そんな高橋元希のプリミティブな衝動がギュッと詰まったギター1本の「バンドをやろうぜ」、これまでのバンドのパブリックイメージの音像をブラッシュアップさせたかのような祭囃子パンク「ニューユタカ」、布袋寅泰 の「スリル」のイントロをおおふざけで爆発させたかのような「マイノリティ」も最高だ。また、言及せずにはいられないのが、クラシカルな響きでロマンを添えたかと思いきや、フリーキーなシンセでどの楽器よりもはみ出す、森川あづさの鍵盤プレイの楽曲への貢献度。彼女がいるというだけでフジロッ久(仮)は数多のパンクバンドと決定的な差異を有するものであります。こっからまだまだ余裕で次にいける、そんな予感に満ちたフレッシュなミニアルバム、オススメでございます。